24:娘日時計 申の刻
申ノ刻(午後四時)角かくしに支度をととのえての外出は墓参という。
ともあれ、この図と辰ノ刻では絵里しも無色の空摺りで巳ノ刻では鼻すじにも空摺りを試みているが、このあと歌麿はこのような手法をほとんど用いていない。
一つの試みとして彼が意図したものが、その後何らの成長展開もみずに終わっている。
またこのシリーズに娘日時計の表題が冠されているが、ここに描出されたエロティシズムには、育ちの良い町娘の風格と品位はない。しかし、これは作品として特異の存在ではある。
※喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。
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