「人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか」
今から78年前の8月9日、両親を長崎の原爆投下で失った人の言葉です。映画「TOMORROW 明日」の冒頭にこの言葉がスクリーンに写しだされました。
1)子供たちが道路でチャンバラをしている遠景に日本人の修道女が二人歩いてくる。
夜、逢引する場面の向うに墓地が見え、その中にいくつか十字架のお墓が見えている。
そして殆ど終盤にマリア像が大写しされる。
見ていてそのことにすぐ気がついた。
キリスト教の日本における布教史の中では、特別な位置を持つ長崎。
その長崎をキリスト教国のアメリカが、広島に次いで人類に対する2番目の一般市民大量無差別虐殺のターゲットにした。
歴史で原爆を習い、また、江戸以前からの日本のクリスチャンの過酷な信教の歴史を知りだしたころ、アメリカ政府は天主堂がある場所を含めて
なぜ長崎へ原子爆弾を投下したのか、自分は単純に不思議に思った。今もその疑問はそのままだ。
街の中に普通に日本で一番キリスト教が根づいている長崎の街と長崎のひとたち。
黒木監督もそのことが頭にあったのかなあと、そのことが気になりながら映画に見入っていった。
2)黒木和雄監督は先日、残念ながら早い死を迎えられた。その追悼のため戦争三部作と言われる作品の追悼上映が催され、
その最初の上映が1988年制作のこの映画だった。
映画は長崎に原爆が落とされた昭和20年8月9日の前日、8日の長崎市民の一日を淡々と描いている。
肺浸潤のため徴兵されなかった工員(佐野史郎)と長崎医大の看護婦(南果歩)のささやかな婚礼。
夫が出征しているその姉(桃井かおり)の出産。その妹(仙道敦子)と医大生との恋愛。そしてその両親の1日。近所の市電の運転手夫婦の日常。
捕虜収容所のB29の乗員たちの生活も。
皆にとって、7日の昨日もそうであり、9日の明日もそのように続いていくはずだった。
女学生の妹が学校から引率されて工場に向かう9日の朝、道の途中で白雲のわく長崎の空に現れた米軍機をふと見上げた次の瞬間、
画面は白と黒だけに変わり、真っ白な灼熱の空気が強く流れてくる。
そこで映画は何も語らず終わる。
この映画は始まるとすぐ、画面に文字だけが出た。
「人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか」
(長崎の被爆体験者の証言から)
3)結果的に「父と暮らせば」、「美しい夏キリシマ」、「TOMORROW/明日」という制作年度の若い順とは逆の順番で3本を見たことになった。
どの映画も二十歳前の黒木監督自身の戦時体験が映画を作るモチベーションになっていて、見る順番は関係なくどれも胸のどこかに沁みこんでいく。
人間は突詰めれば 他者に対する想像力を育て、想像力を持つ者だけが人間となり、それを持たぬもの、持てぬ者は人間の形をした一哺乳類のままのような気がするが、
黒木監督はきっと人間の行動に感度の高い想像力があり、自分が生まれた時代に意味を求め、生きる意味をこれらの映画作りに託したのだと思う。
何事もなく過ぎていくと思っていても、次の日には何が起こるかわからない。それは自分の明日にも。
こんなことが通るようではおかしい、変だと言うことを、自分がそのままにしておくとその結果は必ず間違いなく誰の上にも例外なく来る。
黒木和雄と言う人は日本人だけではなく、地球上の人間にそういう強いメッセージを送り続けて生きてきた、ような気がする。
黒木和雄監督 戦争レクイエム4部作予告編
2006年8月12日 ブログ『阿智胡地亭の非日乗』に掲載