(画像はネットから引用)
世界銀行の融資で、天津、上海、黄舗の3港に港湾大型荷役設備を設置する国際入札案件がありました。
入札の前に、クレーンの鉄構構造部を中国現地で製作した場合の見積もりを、依頼する為に会社の製造部の人と大連の重工会社へ行くことになりました。
1、火車(汽車)の旅
予約していた北京からの飛行機が飛ばなくなり、汽車で行かざるをえなくなりました。
同行の人や商社の人は、ガッカリしていましたがボクは内心喜びました。確か北京から40時間ほどの行程で寝台列車に乗れるからです。
一度中国の長距離列車に乗ってみたいと憧れていました。
1)中国はレールゲージが広軌ですし、機関車は鉄の塊で、山のように大きく、車輌そのものもがっちり鉄と木材で造られており、これぞ「鋼鉄列車」と言う感じです。
車輌の内装は、子供の時に乗った国鉄の窓枠、床、座席全てが木製のあの懐かしい車輌と同じです。アルミを多く使う最近の日本の車輌とは全く違うものでした。
車輌は硬座席と軟座席に分かれており、軟座席が日本のグリーン車でした。
軟座車の乗客は高級軍人の家族らしき一家と出張帰りの東北の省のえらいさんと見える人達でした。
当時、まだ大都市間の高速道路網はなく、飛行機も「中国民航」しかなく、これは軍人と中央、地方官僚の専有物みたいなもんで、
一般庶民の長距離移動は鉄道だけですから、硬座車の混みようは相当なものでした。
2)軟座車には女子服務員が同乗しており、大きなアルミ製のポットにお湯を絶やさず、各自渡された蓋付きの湯飲みが空になる頃、ついでくれます。
ところで、儒教ベースの中国、韓国では接客業というのは、人間として最低の仕事で誰もが出来たらやりたくない、身を落とした仕事と思って従事していますから、
お客に笑顔や丁寧な対応など普通しませんが、天安門事件以降少しづつ変わったのか、服務員は愛想良く車中を歩いていました。
韓国人や中国人が日本に観光に来て、皆が皆驚くのは、日本のどんな店に入っても「店員や従業員が笑顔で応対してくれる」ことだそうです。
そういえば、初めてこの両国に出張した時の店やホテルの従業員の態度はつっけんどん、無愛想で戸惑いました。
3)食事は食堂車で青島ビールを飲みながら、中華の定食(量が多すぎて食べきれないほど)でしたが、好奇心で、昼時硬座席を覗いてみると、車内販売で弁当を買っています。
中国人は冷えたものは食べ物ではないと思っていますから、車内販売でも熱々の饅頭類を折り箱に入れて売っているようでした。
何でも油でジャーっと言う中華めしの基本は、日本と違って魚でも豚肉でも食材入手から料理するまでに何日もかかり、高温多湿の国土で食中毒を避ける長年の智恵だろうと思います。
4)車窓から見る風景は北京郊外を出ると単調な農村とえんえんと続く畑だったのでしょう。
残念ながら、いまは殆ど記憶に残る風景はありません。明け方、大連に近づくと工業都市らしく大小の煙突群が見えてきました。
大連は戦前、沢山の日本人が住んでいたところで、かっての日本人の居住区には、まだ日本家屋が残っていると新聞や本で読んでいました。
「アカシヤの大連」という本がベストセラーになった頃だったかもしれません。大連駅は豪壮な駅舎で、駅前は広い広いロータリーになっています。
本稿は2003年ごろかっての記憶を辿って書きました。