阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

本家本元の「ムラサキ山芋」栽培の葉の茂りが凄い。 国東半島の「平川農園」さんから届いた写真。    昨年の今日のエントリーの再掲載

2023年08月04日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

大分県は国東半島にある「平川農園」。 農園主から 「ベランダのムラサキ山芋の葉っぱのカーテンの画像を見ましたよ、本家の葉っぱの写真も送ります」と便りがありました。

あの剛毅としかいいようのない「ムラサキ山芋」はなるほどこうやって育っている!!! 

 メールに返事しました。⇒「写真を見た瞬間 夫婦二人 思わず息をのみました。そして感嘆のため息を!!!立派なものですね。

こうしてあのムラサキ山芋が出来るのですね。今年も豊かなる収穫を当方も厚かましくお待ちしています(笑)」

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前に頂いたムラサキ山芋

 

 農園主の 平川さんとは 勤務していた会社の大阪支社で知り合いました。

平川さんが所属した事業部の本部は東京・田無にあり、私も自分が所属した事業体の本部が東京中央区・新川にあったせいか、

大阪支社の各営業部の社内配置では 二人が所属した会社では傍流だった二つの事業グループの営業部は フロアーの一番はしっこに置かれ

そのお陰で平川さんと机の位置が隣同士になりました。

 二人は 平川さんが田無から大阪に赴任してきて、すぐに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 

隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになりました。

他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がします。薩摩人である平川さんは酒も強かった。

 呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していました。

1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わりました。

 初めて一緒に飲みだしてから30年近く経ち、平川さんは退職後 所沢市から大分県に移り住んだが 互いにその後も連絡を取り合って、

機会があれば神戸、大阪、東京などで時々一杯やってきたご縁が続いているのはありがたい。

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「はだしのゲン」誕生50年の今、なぜ販売数が急増? 紛争地域で関心が高まる特徴も…「ここまで部数が伸びるとは」外国語版の翻訳者が語る“平和への危機感”【テレメンタリー2023】

2023年08月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「はだしのゲン」誕生50年の今、なぜ販売数が急増? 紛争地域で関心が高まる特徴も…「ここまで部数が伸びるとは」外国語版の翻訳者が語る“平和への危機感”【テレメンタリー2023】

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08月03日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年08月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった後、ブログ「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年07月01日(金)のブログ ]

2023年08月04日 | 東日本大震災ブログ
2011年07月01日(金)
菅首相は解散して総選挙をやればいい
総選挙やったらいい  澤上 篤人

一部引用・・

政治に対するイライラ感は高まる一途である。
首相の座にしがみついている人がいる一方で、
それに反対する民主党内の人々も野党の面々も
なんら手を打てていない。

この国をどういう方向に持っていくのか、
せめて政治家なら長期ビジョンぐらいは明確に提示してもらいたい。
被災地の復興も原発事故対応も、年金問題や財政赤字も、
バラバラとパッチワークに追われるだけが政治ではなかろう。

どうして、この5年間で日本をこう立て直そうといった方向性を
打ち出せないのか。
そうしないと、財政難のネックに阻まれて政策全体の整合性が
取れないし、結果的に個々の政策効果も高められないのに。

逆いうと、5年ぐらいをひとまとめにして一挙に日本を徹底的に
改革してしまうプランを打ち出せば、国民の多くは手を打って
賛同してくれるだろう。

全文はこちら
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福島原発行動隊がいよいよ行動する

☆昨晩遅く在京の行動隊隊員からメールをもらいました。『「福島原発行動隊」の社団法人化の発足総会が6月30日にありました。

その会議で7月中旬に代表者現地視察、8月にトレーニング、9月から現地作業という大枠で進むことが確認されました』。以下はその関係の記事です。☆

「福島原発行動隊」始動へ=収束作業で現場視察
リタイア組400人志願
時事通信 6月30日(木)18時59分配信

 福島第1原発事故の収束作業を志願している「福島原発行動隊」が7月中旬に現場の状況を視察することが決まった。

元技術者らリタイア組約400人が参加を表明しており、政府や東京電力との打ち合わせ、1カ月程度の訓練を経て、「9月中にも作業に就きたい」という。

 同原発では、高い放射線量で被ばくする作業員が相次ぎ、人手不足が深刻化している。元技術者の山田恭暉さん(72)が「

若い人よりも被ばくによる影響が小さいわれわれ引退組が作業に当たった方がいい」と呼び掛けたところ、

6月末現在で、60歳以上の約400人が参加を表明したほか、約1200人が支援を申し出た。

 山田さんらは5月末、細野豪志首相補佐官(現原発事故担当相)や東電幹部と接触。細野氏らから「行動隊を受け入れたい」との意向が示されたため、

志願者の経歴、能力を記載したリストを手渡したという。

 参院議員会館で30日に開かれた行動隊の説明会には、約150人が出席。山田さんは、元放射線管理士、元原子炉設計技術者ら計5人で7月中旬に現地に入り、

同原発の吉田昌郎所長とも意見交換する予定であることを報告した。実際にどのような任務に就くかは視察を踏まえて検討するが、

当面は原発周辺のがれきを重機で除去する作業などを想定しているという。

 奈良県生駒市から駆け付けたというプラント工事の元技術者(66)は「循環注水冷却の配管の水漏れは、完全な素人仕事。

頭数だけそろえて素人ばかり集めたためだ。早く現場に入れるようにしてほしい」と話した。

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いま日本は真に非常事態にある。児玉教授の渾身の訴え!

3.11以降、多くの専門家が発言してきたがこの「渾身の訴え」は最重要だ。最後まで必ず見てください。

これまで掲載してきた本ブログのエントリーの中で必見の内容です。最初にUPしたYoutubeはなぜか削除されました。

止む無く新たなYoutubeを探してUPしなおしました。sengoku38がアップした巡視船の動画と同じように、

これから削除と新たな投稿のイタチゴッコが続く可能性があります。

それだけこの参考人の意見陳述は原子力村にとって都合の悪い真実なのでしょう。


2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響」参考人説明より。児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授、

東京大学アイソトープ総合センター長)資料: 児玉教授の衆院厚労委員会での意見陳述の説明資料要旨 こちら詳細 こちら 

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原発の配管工事の現場監督をやっていた平井憲夫さんの話

筆者「平井憲夫」さんについて

1938年、岡山県倉敷市生まれ。

高校中退後、石油化学プラント建設会社に入社、石油化学プラントの建設工事に携わったのち、日立プラント建設の下請け会社に移り、

原発の新設や定期検査の配管工事の現場監督を20年にわたってつとめる。

工事を手掛けた原発は、福島、浜岡、島根、東海、敦賀などの14基に及び、日本の沸騰水型原発の殆どに関与した。

1級プラント配管技能士。1988年退社。1990年「原発被曝労働者救済センター」を設立、代表として、原発工事で被曝する労働者の救済に当たる。

原発事故調査国民会議顧問、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、

福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人として、原発建設現場の実態を法廷で証言するとともに、全国で講演活動を繰り広げる。

1997年正月明けに一人暮らしの自宅で亡くなっているのを発見された。享年58歳


「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

原発がどんなものか知ってほしい(全)
平井憲夫

 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。

原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。

そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、

毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

全文はこちら

目次

1,私は原発反対運動家ではありません
2,「安全」は机上の話
3,素人が造る原発
4,名ばかりの検査・検査官
5,いいかげんな原発の耐震設計
6,定期点検工事も素人が
7,放射能垂れ流しの海
8,内部被爆が一番怖い
9,普通の職場環境とは全く違う
10,「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
11,だれが助けるのか
12,びっくりした美浜原発細管破断事故!
13,もんじゅの大事故
14,日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
15,日本には途中でやめる勇気がない
16,廃炉も解体も出来ない原発
17,「閉鎖」して、監視・管理
18,どうしようもない放射性廃棄物
19,住民の被曝と恐ろしい差別
20,私、子供生んでも大丈夫ですか。
  たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
21,原発がある限り、安心できない

この文章は『日本熊森協会』のHPに張られたリンク先から引用しました。

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億単位の研究費が大学教授へ
東大教授ほか原発事故解説者がもらった「8億円原発マネー」
NEWSポストセブン 2011年6月30日(木)7時00分配信

 関村直人・東京大学大学院工学系研究科教授5760万円が「受託研究費」の名目で(日本原子力研究開発機構)、
 
山名元・京都大学原子炉実験所教授が「寄付金」の名目で120万円(日本原子力産業協会)、山口彰・大阪大学大学院工学研究科教授が
「受託研究」の名目で3385万円(ニュークリア・デベロップメント)……。

 これは、東京電力・福島第一原発事故の発生直後から、連日テレビに出演し、事故について解説していた大学教授たちに渡っていた「カネ」のリストの中からの抜粋である。
ちなみに諸葛宗男・東京大学特任教授=当時と中島健・京都大原子炉実験所教授は「0円」だった。

 これらの資金の存在は取材班による情報公開請求によって初めて明らかになった。震災直後に一部で報じられた、大学HPで公開されている寄付とは違う。
総額約8億円カネを出していたのは電力会社、原発メーカー、そして政府。

 学者たちの意見は、本当に“公正中立な見解”だったのか。そして、「科学者の公正中立」とは、どう担保されるべきものなのか。
ジャーナリストの佐々木奎一氏と本誌取材班がレポートする。

 * * *
「ほとんどの核燃料は、今も原子炉の中に収まっていて、原子炉はすでに停止している状況だ。住民には冷静な対応をお願いしたい」

 関村教授がNHKに出演し、こう視聴者に呼びかけたのは震災翌日の3月12日のことだった。

 福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛んだこの日以来、“専門家”である大学の科学者たちはコメンテーターとして各局、
各紙に出ずっぱりとなった。以下、各コメンテーターによる発言の一部を紹介する。

「内部の損傷はスリーマイル島より軽微だろう。溶けている部分もあるが全部ではない」(3月13日、諸葛特任教授=当時、TBS)

「チェルノブイリ級の爆発が起きるかどうか何とも言えない。もしかしたら原子炉損傷じゃなかったのかなという希望的観測も成り立つ」(12日、中島教授、テレビ東京)

「冷やすことがコントロールできないのは深刻な状況だ。しかし、目に見えてさらに深刻になる兆候は見えていない」(16日、山口彰・大阪大大学院教授、NHK)

 また、山名元・京都大原子炉実験所教授は、「(政府の避難指示の方針は)先に先にと徹底している。一歩先を進んでいると思ってほしい」とコメントした(14日、TBS)。

 実際のところはどうだったか。事故直後で情報がない時期だったとはいえ、“専門家”たちの意見は必ずしも的を射ていない。
むしろ政府・東電寄りに立って「安全」を強調していたのではないかと思えるものも少なくない。

 取材班は、事故直後に頻繁にマスコミに登場した教授たちに、企業や政府機関から過去5年間で合計約8億円ものカネが流れていたことを、
 
所属大学への情報公開請求によって明らかにした。これら大金はほとんどが“原発推進派”から提供されたものなのである。

 資金の名目は「奨学寄付金」「共同研究費」「受託研究費」の3種類がある。

 わかりやすく言えば、寄付金は企業などが用途を限定せずに「頑張って研究してください」と渡す資金であり、共同研究費、受託研究費は企業の費用負担で研究が行なわれる、
 
つまり「このお金でこの研究をしてください」という性質の資金提供だ。

 震災以降、東京電力が全国の大学にカネをバラ撒いてきた実態の一部はある程度報じられた。
 
例えば冒頭の関村教授が所属する東大大学院工学系研究科には「寄付講座」名目で約10年間に東電から計5億円のカネが流れていた。

 しかし、今回明らかになったカネの流れの問題は、より根深い。

「寄付講座」の場合、東大なら大学HP上の寄付講座一覧を閲覧すれば、見ることができる。
 
しかし、前出の資金の動きは、情報公開請求して数か月かけなければわからない。事故直後に視聴者が「この教授はどういう立場の人なのか?」と疑問に思っても、
 
知ることのできないカネの流れなのだ。

※SAPIO 2011年7月20日号
 
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福島市の子供の尿から放射性物質が検出された

☆この報道にはどきっとした。福島原発事故がレベル7の規模と国が認定した時点で当然予測すべきことなのだろうし、

アメリカが原発の水蒸気爆発で即日、福島原発の80km圏内住む在日アメリカ人に退避を指示した理由の一つなのだろう。

国と県には誠実に現実を直視し、一般の無名のくにたみの訴えを聞き、手を打つ義務がある。☆

子どもの尿から微量の放射性物質 福島市の10人 
2011/06/30 13:46 【共同通信】

福島県内の保護者らでつくる市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などは30日、福島第1原発事故の影響調査で福島市内の6~16歳の男女10人の

尿を検査した結果、全員から微量の放射性物質が検出されたと発表した。

 検査を担当したフランスの放射線測定機関「アクロ研究所」のデービッド・ボアイエ理事長は記者会見で「福島市周辺の子どもらに極めて高い確度で内部被ばくの可能性がある。

事故前の数値はほぼゼロだったと考えられる」と話した。

 発表によると、尿は5月下旬に採取。放射性セシウム134の最大値は8歳の女児で尿1リットル中1・13ベクレルだった。

☆NHKニュースは別の機関のコメントを取っている。

読んだ後の印象はかなり違う☆。

“子どもの尿に放射性物質”
6月30日 23時5分 NHKニュース

福島市の小学生から高校生までの10人の尿から放射性物質が検出されたとして、福島県の市民団体が、30日、東京で記者会見を開き「国や県の責任で、

福島の子どもたちを対象に内部被ばくの検査を早急に行うべきだ」と訴えました。

一方、放射線影響研究所の長瀧重信元理事長は「この量で健康被害があったという報告はこれまでにない。過度に心配せず、ふだんどおりの生活をしてほしい」と話しています。

市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などは、5月下旬、募集に応じた福島市に住む小学生から高校生10人の尿を、フランスの研究機関に送り、分析を依頼しました。

その結果、8歳の女の子から、1リットル当たりにして、セシウム137が1.19ベクレル、セシウム134が1.13ベクレルなど、全員から放射性セシウムが検出されたということです。

いずれも放射線が半分になる期間がおよそ2年のセシウム134が含まれていたことから、東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射性物質を

体内に取り込んだものとみられています。この結果について、ネットワークは、30日、東京で記者会見を開き「原発から60キロ離れた福島市内の子どもでも内部被ばくを

している実態が明らかになった。国や県の責任で、福島の子どもたちを対象に内部被ばくの検査を早急に行うべきだ」と訴えました。

一方、放射線影響研究所の長瀧重信元理事長は「この量で健康被害があったという報告は、これまでにない。過度に心配せず、ふだんどおりの生活をしてほしい」と話しています。

財団法人高度情報科学技術研究機構によりますと、大気中の核実験の影響を調べるために昭和30年代後半に行われた、日本人の中学生の尿の分析で、

セシウム137は、昭和39年におよそ4.5ベクレルと、今回の3倍以上の濃度だったということです。

注)「財団法人高度情報科学技術研究機構」は文部科学省認可の財団法人。

2011年7月1日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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赤い丸型ポストが諏訪にはたくさん残っているらしい

諏訪で愛される「丸形ポスト」 設置割合、全国平均の7倍
(2011年6月24日)

宮坂醸造・丸高蔵の店舗前に立つ丸形ポスト。店の前の風景は昭和の時代を感じさせる雰囲気だ。

 諏訪市の街中でぽつりぽつりと見掛ける昔ながらの円柱形の郵便ポスト。郵便事業会社信越支社(長野市)によると、全てのポストにこの「丸形」が占める割合は、

全国の2・6%に対し、諏訪市では19・1%。「愛着があるから」と、店舗を移転する際に敷地内の丸形ポストを自費で一緒に移したという自営業者もいる。

同社諏訪支店(諏訪市)は「多い理由はよく分からない」としつつも「景観の一部として愛されてきた結果では」とみている。

 信越支社などによると、諏訪市内にあるポスト110基のうち丸形は21基。近隣市町村では岡谷市も丸形の割合が高く21・0%。

下諏訪町は5・6%、茅野市・富士見町・原村は2・5%。長野県全体では6・0%という。

 諏訪市内で複数のコンビニエンスストアを営む松木開子(あきこ)さん(57)=四賀赤沼=は3年前、中洲の店舗を四賀武津に移転した際、

店の横にあった丸形ポストも一緒に「引っ越し」した。「長い付き合い。わが子のように感じる」と、運送・設置費を自ら負担。

移転当初は新築の店舗に古めかしいポストがなじんでいなかったせいか「これ本物ですか」と尋ねる客もいたという。松木さんは「珍しいのか、県外から写真撮影に来る人もいる」と話す。

 郵政資料館(東京都)の記録では、現在残る形式の丸形ポストは1949(昭和24)年に製造を始めた。

しかし、差し出し口が狭く、内部に袋を置けず集配が面倒といった作業上の難点があり、昭和30~40年代ごろから数を減らしてきた。ただ、その独特の雰囲気から今も引き合いが多い。

 みそ製造の宮坂醸造・丸高蔵(高島)は2007年に店舗を改装。その際、店の前にある丸形を箱形の新しいポストに更新するか検討した。

しかし、新型は約90年の歴史を持つ建物に合わないとの理由で丸形をそのまま残すことにした。

原田泰治美術館(渋崎)では、原田さんが描く切手に丸形が登場することから、同館前の箱形ポストを丸形に変えられないか、郵便事業会社諏訪支店に要望している。

 こうした動きを受け、同支店も「丸形保存」に努めている。仕事用の書類が入れづらいとの理由で近年、中洲の第一精密工業団地内にあるポストを新型にした際は、

不要になった丸形を四賀の民家前に移した。同支店の担当者は「丸形は利便性に優れているとは言えないが、愛されている限りは処分せず、できるだけ残していきたい」と話している。

(提供:信濃毎日新聞)

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