阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

中国・アカシアの大連      2006年6月 友人のKさん夫妻の旅の記録

2023年08月12日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町の住人であるKさんからメールをもらいました。

⇒「阿智胡地亭さんが 大連まで仕事で行かれていたと、直近のブログで初めて知りました。

 私は2006年6月4日から7日まで大連を訪れています。

アカシアの大連観光と旅順の日露戦争遺跡を訪れる旅でした。

アカシアの花は盛りを過ぎていて、1週間ぐらい遅かったようだ。(トップの写真)

 

 満州進出の拠点となった大連、2006年でも満州時代に手掛けた建造物が奇麗に整備され残っていました。

 先ずは中山広場に面する「大連ヤマトホテル」

李香蘭、川島芳子、溥儀、甘粕・・・満州を闊歩していた面々の御用達ホテル。

 2006年は当時の面影の残るホテルだったがその後買収されビジネスホテルへ、管理も行き届かなくなり

 中央政府が介入して閉館、改修を経て今年春再オープンしたようだ。

 中山広場に面する旧横浜正金銀行大連支店

        旧大連市役所

 中山広場から少し離れた旧満鉄本社

 2008年雲南省を旅した同じグループに満鉄本社に勤務していたという老人がいた。

 スパイをしていて覚えた中国語は63年たった後も健在で、旅先で少姐を見つけては会話を楽しんでいた。

 この老人は視力が弱く兵役検査は不合格になるだろうと満鉄入社を決めたという。しかし終戦近くに赤紙が来て中国南方に送られたが無事帰国できたという。

 もし満鉄に残っていたらもっと悲惨だったに違いないと前向きにとらえていた。

   中国への旅行が解放された後満鉄本社を訪れ、どこどこの部屋にあるどの書類を見せてくれと言ったら女性事務員がびっくりしていたと話してくれた。

 大連港候船庁

 神戸港を出港して4日目にたどり着く大連港、このフェリーターミナルは2013年に取り壊されたようだ。

大連駅

 大連港に着いた客はここから満鉄で内陸地へ向かった。

 

人民広場の面して建つ旧関東州庁

旧高等法院

 南山日本人街

 1910年から20年ごろ南山麓に高級住宅が立ち並ぶ日本人街が開発された。2006年にはほとんどが取り壊され再開発されていた。

 

          旅順地区へは半日ツアーで出かけた。

日露戦争で激戦の舞台となった旅順港は今でも中国海軍の重要拠点で、2006年の時点では

外国人は指定された観光地、指定された道路しか立ち入りできなかった。

現在この規制は解除され当時行けなかった旅順港、旅順駅、旅順監獄にも行ける。

   旅順ツアーは水師営会見所、203高地、東鶏冠山砲台の日露戦争遺跡3か所だった。

今年春金沢城でガイドと話をしていたら、金沢城に設営さた第九師団は日露戦争で乃木希典の下で

旅順攻撃に参戦し、多くの犠牲者を出した。石川県民は仁木希典が大嫌いだと。

   6月4日は天安門事件の日です。

夕食を終え部屋でNHKの海外放送を見ていたら天安門事件を伝えるNewsが始まったと思ったら

突然画面が真っ黒になりました。ホテルで放送を監視している役人が処置したのです。

現在もこの状況は変わっていないようです。」 Kさんのメールからの引用終わり。

 

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08月10日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年08月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった後、ブログ「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから          [ 2011年07月10日(日)のブログ ]

2023年08月12日 | 東日本大震災ブログ
 
2011年07月10日(日)
 
被災地の感染症対策  

☆厚生労働省の物言う女性技官、木村盛世さん。

このレポートは、これから上がる一方の温度と湿度の中で、被災地住民の健康をどう守るか、打つべき施策の提言をしている。

ノロウイルスやロタウイルス性腸炎。病原性大腸菌やサルモネラ菌による食中毒。ツツガムシ病。破傷風。日本脳炎。

一部引用・・

 繰り返すが、被災地における「感染症対策」は、十分ではない。しかし、それが表立ってこないのは、被災地の状況があまりに酷過ぎて、隠れてしまっているからである。

 感染症対策の中で、最も重要なのは、衛生状態悪化による感染症の流行と、ワクチン政策不備による、子供たちの重篤な感染症罹患である。

特に後者は、「次世代を担う世代を守る」、という国の根本的責任そのものだ。被災地の感染症対策を、みて見ぬふりをせず、国の最重要課題として取り組むよう、希望する。

全文はこちら

 
前田元検事は検察改革に貢献している。
☆土佐のハチキン、村木元厚生労働省局長が最後まで検察に抵抗して頑張るので、やむなく一線を越えた策にでた前田元検事。彼の貢献は最高検の組織改革に道をつけたことにある。

しかしヤメ検の落合弁護士の組織変更案を見る目はまだまだ厳しい。☆

一部引用・・

ただ、従来の特捜部の風潮は、独自に認知、立件した事件に至上価値を置く一方、他機関を見下し、馬鹿にして、相談にもろくに取り合わず、
 
告訴・告発はできるだけ受理せず難癖をつけ追い払う、といったもので、そういった風潮が一朝一夕ですぐに改まるとも思えません。

 検察ストーリーに沿った供述調書の作成ロボットやプリンターのような存在だったものが、いきなり、情報を生かして事件を組み立てろ、と言われてもすぐには無理でしょう。
 
当面は鳴かず飛ばず状態でくすぶり続けることになるのではないかと思います。

全文はこちら
 
 
 
国の公聴会の進行の仕組み 九電やらせメールのケース

☆大手メディアが初めて九電のヤラセに気が付いたように報道するのは本当に笑うしかない。彼らはこのような催しは電通が設営を請負い、全体と細部のシナリオを描いて、

進行させていることを昔から知っている。

先日のエントリーに、「これは従来から公聴会などで普通にされてきたことで、九電の課長さんはなんの疑問もなくいつも通りのことをしただけだ」と書いたが

、長年電力会社と原子力発電問題で交流?してきた小出裕章さんは、こう言っている。☆

一部引用・・

(玄海原発再稼働問題。テレビで説明された国の説明番組に対して原発再稼働賛成のメールを送るように九州電力の社員が関連会社などに依頼したという出来事がありました。

このヤラセメールに関して小出さんはどう思いますか)

小出:相変わらずだなあと思いました。

(あいかわらずですか)

小出:はい。昔からよくあったことですので。

(むかしからあったんですか。)

小出:はい

(でもにわかには信じがたいんですが。結構こういったことってほんとに行なわれていたんですか)

小出:えーと私は内部からずっとその話を聞いていましたのでもう原子力をする人たちはそういうことをやってきたということは、昔から知っていました。

(じゃあ慣習と言ってもよろしいんでしょうか)

小出:そうですね。慣習だったし、ごくごくありふれた出来事だったと私は思ってましたし、なぜそれが今問題になるのかなあと、むしろそんなことが不思議でした。

(今はですよ、福島第一原発が事故を起こしてる状況でこんなヤラせを要請するっていうのはちょっと間隔がわからないんですけど)

小出:いや今だからこそ、むしろやらなければいけなかったと思います。彼等は。

全文はこちら

 
 
東電社長などを東京地検特捜部に刑事告発の予定
一部引用・・

 この仮処分申請のほかにも、作家の広瀬隆さんとルポライターの明石昇二郎さんが、今回の原発事故の関係者を、業務上過失致死傷容疑で東京地検特捜部に刑事告発することを決めた。

 被告発人は東電社長、原子力安全委員長福島県放射線健康リスク管理アドバイザーら多数になる見通しで、近く記者会見で詳細を発表する予定だという。

全文はこちら
 
 
身柄拘束45年、死刑確定31年  袴田事件
「再審・無罪」の可能性が仄見えてきた袴田事件

一部引用・・

袴田事件

 それは、事件発生から45年が経った翌日のことだった。

 元プロボクサーの袴田巌死刑囚(75)が冤罪を訴えている「袴田事件」の第2次再審請求審で、静岡地裁が7月1日、「犯行時の着衣」に付いた血痕をDNA鑑定する方針を示した。
 
袴田死刑囚の弁護団は「着衣は捜査機関にねつ造された」と主張しており、血痕が被害者のものでないといった鑑定結果が出れば、
 
再審開始が認められて無罪判決につながる可能性も出てきた。

 当コラムでもこれまで何回か取り上げたが、袴田事件について簡単におさらいしておこう。

 1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で、味噌会社専務の一家4人が殺害された。住み込み従業員だった袴田死刑囚が8月に逮捕され、犯行を「自白」する
公判では一貫して無罪を主張したが、1審の死刑判決が80年に最高裁で確定し、第1次の再審請求も2008年に最高裁で退けられた。
 
1審・静岡地裁の裁判官だった熊本典道さん(73)が07年に「無罪の心証を持っていた」と告白。多くの疑問点に目をつぶったまま死刑判決が導き出される過程は、
 
昨年公開された映画「BOX 袴田事件 命とは」で描かれたので、ご存じの方も多いだろう。

全文はこちら

☆2010年07月27日(火)ブログ掲載
映画「BoX 袴田事件 命とは」を観ました。
 
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