千葉県印旛郡栄町の住人であるKさんからメールをもらいました。
⇒「阿智胡地亭さんが 大連まで仕事で行かれていたと、直近のブログで初めて知りました。
私は2006年6月4日から7日まで大連を訪れています。
アカシアの大連観光と旅順の日露戦争遺跡を訪れる旅でした。
アカシアの花は盛りを過ぎていて、1週間ぐらい遅かったようだ。(トップの写真)
満州進出の拠点となった大連、2006年でも満州時代に手掛けた建造物が奇麗に整備され残っていました。
先ずは中山広場に面する「大連ヤマトホテル」
李香蘭、川島芳子、溥儀、甘粕・・・満州を闊歩していた面々の御用達ホテル。
2006年は当時の面影の残るホテルだったがその後買収されビジネスホテルへ、管理も行き届かなくなり
中央政府が介入して閉館、改修を経て今年春再オープンしたようだ。
中山広場に面する旧横浜正金銀行大連支店
旧大連市役所
中山広場から少し離れた旧満鉄本社
2008年雲南省を旅した同じグループに満鉄本社に勤務していたという老人がいた。
スパイをしていて覚えた中国語は63年たった後も健在で、旅先で少姐を見つけては会話を楽しんでいた。
この老人は視力が弱く兵役検査は不合格になるだろうと満鉄入社を決めたという。しかし終戦近くに赤紙が来て中国南方に送られたが無事帰国できたという。
もし満鉄に残っていたらもっと悲惨だったに違いないと前向きにとらえていた。
中国への旅行が解放された後満鉄本社を訪れ、どこどこの部屋にあるどの書類を見せてくれと言ったら女性事務員がびっくりしていたと話してくれた。
大連港候船庁
神戸港を出港して4日目にたどり着く大連港、このフェリーターミナルは2013年に取り壊されたようだ。
大連駅
大連港に着いた客はここから満鉄で内陸地へ向かった。
人民広場の面して建つ旧関東州庁
旧高等法院
南山日本人街
1910年から20年ごろ南山麓に高級住宅が立ち並ぶ日本人街が開発された。2006年にはほとんどが取り壊され再開発されていた。
旅順地区へは半日ツアーで出かけた。
日露戦争で激戦の舞台となった旅順港は今でも中国海軍の重要拠点で、2006年の時点では
外国人は指定された観光地、指定された道路しか立ち入りできなかった。
現在この規制は解除され当時行けなかった旅順港、旅順駅、旅順監獄にも行ける。
旅順ツアーは水師営会見所、203高地、東鶏冠山砲台の日露戦争遺跡3か所だった。
今年春金沢城でガイドと話をしていたら、金沢城に設営さた第九師団は日露戦争で乃木希典の下で
旅順攻撃に参戦し、多くの犠牲者を出した。石川県民は仁木希典が大嫌いだと。
6月4日は天安門事件の日です。
夕食を終え部屋でNHKの海外放送を見ていたら天安門事件を伝えるNewsが始まったと思ったら
突然画面が真っ黒になりました。ホテルで放送を監視している役人が処置したのです。
現在もこの状況は変わっていないようです。」 Kさんのメールからの引用終わり。