阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

梅まつりが始まった「亀戸天神」の梅はまだ少し早かった  その一  「チャイナ厨房」の海鮮焼きビーフンと 「梅屋敷」の江戸切子 

2022年02月24日 | 東京あちこち

亀戸のクリニックで循環器内科の定期検診を受け、日々の薬をすぐ近くの調剤薬局で受け取り 亀戸天神に向った。

時分時になっていたので天神さんに行く前に 薬局の近くの「チャイナ厨房」で海鮮焼きビーフンを食べた。

 

事前に仕入れたネットの情報通り 30種類ほどの550円からあるランチメニューclickの客で細長いが広い店内は満席にちかかった。

店はホール係の女性二人もキッチンの中も全員中国人がやっていて飛び交う中国語の中でキビキビと注文を素早くさばいていた。

お客は全て日本人のようで 彼女たちの日本語はきれいで達者だった。さすが亀戸!こういう町の食堂のような中華店もあるんだと思った。

 「海鮮焼きビーフン」の味は当然ながら日本人に合う町中華に近い味だった(笑)。

この味では在住中国人はこの店には来ないが 定食セット一式のお値段650円は頑張っているなと思った。  薄利多売が信条の まさに華僑の商いだ。

 食べたあと近くの「梅屋敷」で腹休みをしながら展示してある「江戸切子」を見て楽しんだ。

 

 

 

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「デリーキッチン」のカレーの後でショパン・・        12年前の今日 2010年2月24日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

家人の誕生日当日が、自分の心臓カテーテル検査入院の日程に重なったので、事前に祝いの食事とピアノコンサートに行きました。

食事は阪急西宮北口の、長年通う「デリーキッチン」のランチ。まだタンドリプレートはサーブされていませんが、ジントニックはしっかりテーブルにあります。

コンサートは予約していなかったので、パソコンで当日空席の有無を確認してから出かけました。

丸山耕路というピアニストの、ショパンをフィーチャーしたピアノ独奏コンサートでした。2005人収容の大ホールの席は9割方埋まっていました。

500円コイン一枚で、たっぷり一時間ピアノの音色に浸ることが出来るのはありがたいことです。


開演15分前の兵庫県立芸術文化センター大ホール。


私のジントニック一杯を入れて二人で2500円のランチと1000円のコンサート。
安い誕生日祝いになってちょっと申し訳ないような・・・・

 

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松坂の会見に見る、日米メディアの差異          2007年4月22日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

MLBの日本版のコラム(2007年4月19日付)でこのタイトルの興味深い記事を読みました。書いたのは<ジェフ・ゴールドバーク>という人です。

→・・前略・・その日、松坂の会見は日米のメディアが合同で行った。マリナーズ戦のときは最初が米国、次に日本と分けられていた。

だから松坂にとっては、日米の両メディアから黒星について訪ねられたのは、あのときが初めてだ。

そして偶然というか、両国のメディアが興味を示したのはただひとつ、押し出しを含む3四球を与え、2点を失った4回のピッチングについてだった。

この件については、私を含む2人の米国人記者が質問をした。

一方、日本人メディアの質問の大半は、松坂が好投した部分に集中していた。

 我々、米国のメディアは、批評することを重視している。それに対し、我々以上に松坂と親しく、話す機会の多い日本のメディアは、

選手の批評や批判は好まないのだろう。または、会見はそういったことを聞く場ではないという認識なのかもしれない。・・後略・・


「日本のメディアは、選手の批評や批判は好まないのだろう」

この表現はいまの日本のメディアの本質を現している言葉だと思った。スポーツだけでなく政治家、議員、行政など全ての取材に批評や批判の視点がない。

米飯や山食パンでなく砂糖とチョコレートをかけたケーキやお菓子などジャンクフードのような記事で満足している我々日本の読者と、

固くて辛い記事を望むアメリカの読者の差が日米のメディアの差を作っているのかもしれない。

 つまり取材する側とされる側の一種の談合や馴れ合いの結果の記事が蔓延しているのは芸能記事だけではないと思う。

日本のメディアそのものも「新聞宅配制度」の維持などで業界談合をしているし、この島国では「シマ」うちに入らない・入れない人間は

「談合」の食いものにされる対象にしか過ぎないのかも。

 「談合国家日本」ではどの分野、業界でも“シマウチ”に入ることでしか生存の保険はかからない?

アメリカにdice-Kの取材で出かけている日本の各社のエリート記者さんも 取材の舞台がアメリカであっても取材の中身を知ると、

日本の「野球業界の仲間内やシマウチ」から一歩も出ていないのが可笑しい。

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2月23日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

 

 

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引越し記念日の前に 虎ノ門の「穴子や 神谷町」へ穴子丼を食べに行く。     その二

2022年02月23日 | 食べる飲む

 承前   4年目の引越し記念日のささやかな祝いに「穴子好き」なあいかたが あちこち検索で探して見つけた 神谷町の「穴子や 神谷町」にでかけた。

関西風の焼穴子ではなく 関東風の煮穴子を炙る調理法の丼は 何とも言えずおいしくて 二人ともに言葉なく 黙々と食べてしまう逸品だった。

 丼に載せて出てきたサイドオーダーの『きも煮』も優れものだった。

 店内はちょっと時分時を外れていたが このあたりの会社勤めの人でほどよく席は埋まっていて どこかの商社マンらしき人の野太い関西アクセントの話声も聞こえ

一瞬 ここは大阪の心斎橋か本町にある店だったかな?というような気になった(笑)。

 ぬる燗の温度はどうですかと聞きに来た店長の池田さんの話では 元は築地で料亭をやっていたが 一年半ほど前に この場所で穴子専門店に業態替えをしたとのこと。

開業前には 懐石で修行した板前さんと一緒に東京と関西の穴子で有名な店(姫路のでんすけ穴子など)を訪ねて食べ歩いて研究したのだそうだ。

その研鑽の成果は十分に発揮されていると思った。

 神戸在住時には兵庫県高砂の「下村商店」の焼きアナゴや、広島在住時には宮島の「うえの」の焼きアナゴ(関西click 広島click)を楽しんで来た話をしたら 

穴子と共に歩んできましねと言われてしまった。 席を立つとオープンキッチンの板前さんからも「ありがとうございました」と声がかかり

このご時世の下 ひたすら顧客大事に やっておられる気持ちを感じた。

 満足して店を出た後少し辺りを歩いた。

都営バスのバスストップがあったので行先を見ると新橋駅前行でしかも数分後に来る時刻表だった。すぐにバスが来たので乗った。

虎ノ門から新橋への道すがらをバスの車窓から見るのも面白かった。 

新橋駅までは12分ほどだった。駅前第一ビルで焼きビーフンの店を確認してから山手線に乗った。

4年目の引越し記念日はおいしい穴子丼と都心の しばしの短いバスツアーで満足して過ぎた。

 

 

 

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剣菱と菊正宗の本社は歩いて30分少々         10年前の今日   2012年2月23日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

家からぶらぶらと浜側にまっすぐ歩いて御影郷に行きました。国道2号線を直角に渡り、
阪神淡路大震災のとき多くの避難者がいて、天皇皇后両陛下がお見舞いに訪れた御影小学校の横を通ります。



阪神高速が上を走る国道43号線を横切ると目の前に大きな赤い橋が現れます。



東に少し歩くと昔の岸壁がわずかに残った場所があります。岸壁の右側は埋め立てられました。


このあたりは灘五郷のうちの御影郷です。剣菱の本社もここにあります。


トップの画像は製品倉庫。菊正宗の工場や本社もすぐ近くです。



ところどころに「灘の酒蔵」のウオーキングコースのガイド板があって楽しく歩けます。起点は阪神魚崎でも御影でもOKです。


この日の漫歩計は8815歩でした。

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偉人たちの残した「戦争にまつわる名言・格言」。

2022年02月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

戦争にまつわる名言・格言

「第三次世界大戦でどのような武器が使用されるかわからないが、第四次世界大戦では棒と石を使って戦われることになるだろう」
―アルベルト・アインシュタイン(物理学者)


「どんなに必要で、どんなに正当化されようと、戦争を犯罪ではないと考えては絶対にいけない」
―アーネスト・ヘミングウェイ(ノーベル文学賞作家)


「何の罪もない人々を殺した恥を、覆い隠せるだけの大きな旗はない」
―ハワード・ジン(アメリカの歴史家)


「もし戦争を終わらさなければ、戦争が私達を終わらせるだろう」
―J.R.R. トールキン(指輪物語の著者)

引用元

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2月22日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

毒蝮 まあ、あらためて若い世代に、俺や田原さんが喋れることって言ったらやはり戦争なんだと思いますよ。人間が生きていくうえで最もあってはならない、最も悲惨なことは戦争以外の何物でもない。俺も田原さんも80代後半、日本が戦争をしていた時代をギリギリ知っている。それを喋れる人も年々少なくなっていくわけです。俺たち以後の世代は、もう実感としての戦争体験を持っていない。俺と田原さんは2歳違いです。それでも随分と体験が違うんですよね。軍国少年だった田原さんは戦争が終わって日本がガラッと変わってしまったことに、なんだ!ふざけるな!って思いがある。

田原 僕らは騙されたっていう意識。さらに2つ上の大島渚や3つ上の篠田正浩、あの人たちは学校で切腹の練習までさせられた。だから僕よりももっと国に対して不信感を持った。大島さんたちは加害者にさせられたっていう意識ですよ。だから国なんか潰しちゃえって。

毒蝮 田原さんの2つ下である俺は、戦争が終わってまず感じたのは、もちろん空襲は二度と嫌だってのもあるんだけど、9歳のガキだからね、チョコレートや砂糖があってヨカッター!っていう思いのほうが強かった。鬼畜米英よりも甘いもののほうが体に染みこむんだ(笑)

田原 小学校の高学年と低学年では、実感が違いますね。

毒蝮 世間から見れば俺と田原さん、2人とも80代のジジイで一緒に括られるかもしれないけど、学年の2年3年の差で戦争への実感は本当に違うんですよね。

田原 住んでいた場所でも大きく変わる。

毒蝮 しかも俺は、マッカーサーの戦後政策の一環で、浮浪児を無くそうってことで作ったラジオドラマ「鐘の鳴る丘」があって、その芝居に子役で受かって舞台に立ったから役者の道に進んだ。そこから今の今までがある。戦争があったからこうなったという自分が現にあるんです。戦争と言ってもその人の置かれた立場で十人十色。それも含めて若い世代には戦争を知ってもらいたい。

田原 戦争をしないために戦争を知る。

 

 

 

 

 

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引越し記念日の前に 虎ノ門の「穴子や 神谷町」へ穴子丼を食べに行く。     その一

2022年02月22日 | 食べる飲む

『「やっぱり移ろうよ」と君が言ったから2月21日は引っ越し記念日』。     * 〈『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日     俵万智 1987年 〉

   2月21日は4年前に 通算45年住んだ神戸市東灘区から東京都最東部の区へ移転した日だ。

後期高齢者になってからの築50年の家仕舞は思った以上に大変だった。 電気ガス新聞インターネットを止める連絡からはじまり 引越し業者の三社見積もりをとって

各社の担当に家に来てもらい条件や価格交渉をし 一社に決めて発注金額の確定。業者にやってもらう業務の中には両親の時からの50年間 家にたまった思った以上の量の

思い出の品々の処分もあった。仏壇の終いは専門の業者へ頼み 事前に行った。    並行して 土地を売りに出すという大仕事を進めたがこれはすぐに決着がつくような

簡単な事ではではなかった。

 また 東灘区役所へ転出届に行くこと 引越し先での事前のインターネット契約や、引っ越し当日から使う電気ガスの事前の手続きなどもあった。

引っ越し専用のノートをつくり やるべきことをつぶしていったが ストレスのせいか不眠症にもなったが夫婦二人で何とかやり遂げることが出来た。

 インターネットがなく電話だけでこれらをやっていた時代は本当に大変だっただろうと思う。

2018年2月20日の夕方 断捨離で処分した荷を載せたトラック5台と東京に向かう引っ越し荷物を積載したトラック1台を見送ってから 

二人で新神戸駅の新幹線の席に座った時は心底ほっとした。

 そして2018年2月21日の朝から神戸からのわずかな引越し荷物を搬入してもらい、3月初めからもう一家族が加わって 集合住宅一室での同居生活がスタートした。

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 4年目の引越し記念日のささやかな祝いに「穴子好き」なあいかたが あちこち検索で探して見つけた よさげな「穴子の専門店」に某日でかけた。

旨いかまずいかは行ってみないと始まらないし、食べてみないとわからない。

 秋葉原で総武線から東京メトロ 日比谷線に乗り換えて

神谷町で降りた。東京メトロの乗車時間は20分だった。

都内では最東部の区の在所から出かけてきた自分は 思わず ああ首都東京に来たと思い このガイドボードにカメラを向けてしまった(笑)。

地下鉄を出たところの風景。  目の前のビルに邪魔されて🗼は見えないが このポイントから東京タワー🗼まで600mほどらしい。

店は歩いて5分ほどであいかたは事前の調べの通り間違いなく店に辿り着いた。

 

 

 

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定食屋のようなインド料理店「ナーン・イン」        13年前の今日 2009年2月21日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月22日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

神戸三宮の生田の森を出て、山手幹線のまだ山側に歩きました。そして少し前に千葉から来た友人とたまたま入ったら、おいしかったという相方の水先案内でカレーの店に行きました。

観光客は相手にせず、近所のインド人相手の定食屋のようななんの飾りもない内装で面食らいました。

そして海鮮カレーとチキンカレーも大きなさっぱりしたナンも、なんの衒いもない「インドの味噌汁付焼き魚定食」というような感じの旨さでした。

全く日本人向けにアレンジせず、本国そのままの料理で通しているのでしょう。

サブプライム騒ぎでこのあたりの外国人も外食を控えていて不景気なのか、前にはいたというインド人のウェイターはおらず、

バイトらしい大学生のような女の子が半分英語半分日本語で注文を聞きました。

香港出身かなと思いました。これからも通いたい店ですが、経営が持つのかなあ?とちょっと心配。ナーン・イン





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戦争に熱狂した新聞・ラジオ   田原総一朗       2011年3月10日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月22日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

田原総一朗のメールマガジン2011.3.4から全文引用・・

 日中戦争や、太平洋戦争で
新聞やラジオが戦争を煽るように書き立てた事が、
今問題になっている。

新聞が戦争を礼賛し始めた最初は
日露戦争である。
日露戦争の始まる前、
実はほとんどの新聞が戦争反対だった。
ところが戦争が近づくと
戦争反対の新聞はどんどん売れなくなった。
経営が危なくなった。
そこで、どの新聞も戦争礼賛に転向した。
特に萬朝報は最後まで戦争に反対したが、
倒産の危機を迎えて結局戦争賛成に変わった。

これをきっかけに戦争が近づくと、
日本の新聞は戦争を賛美するようになった。
満州事変、日中戦争の時も
メディアは戦争礼賛になってしまった。
戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。
そこで大新聞がみんな戦争礼賛になると、
雑誌や小新聞に対して
政府は過酷な弾圧を加えるようになった。
それでも反対すると、監獄にぶちこむ。
こういう状態で太平洋戦争を迎えるのである。

もちろん新聞社の中にも、或いは雑誌社にも
戦争に反対する記者達はいた。
だが、彼らは書く機会が与えられないか、
警察に逮捕された。

実は、太平洋戦争で敗れて
連合国から日本が侵略国、侵略戦争を繰り返した、
と決め付けられるまで、
日本には戦争が悪い、と言う空気はほとんどなかった。
戦争には勝てばいいのだと言う思いが強かった。
これは日本だけの現象ではない。
イギリス、アメリカ、フランス、オランダなどを始め、
先進国とは侵略戦争を重ねて戦争に勝ち、
負けた国を植民地にする、
その歴史を繰り返してきたのである。

先進国とは、すなわち侵略国なのである。
明治維新で開国して以来、日本は侵略国になるか、
植民地にされるかの戦いを繰り返してきたのである。
侵略戦争がダメだと言う事になったのは、
第一次大戦が終って結ばれたパリ条約によってであった。
しかし、これまでに行った侵略、
そして植民地作りは認められたのである。

日本で言えば侵略戦争と言えるのは、
満州事変と日中戦争だが
実は満州事変はイギリスやフランスが
絶対に支持してくれる事を前提で行ったのであった。
日中戦争については、
政府の幹部、軍の幹部の中にも
早く止めるべきだ、と言う声が強かった。
ところが、連戦連勝で、
しかも景気がどんどん良くなって
止められなかったのだ。
これは失敗だったと思う。
そして、太平洋戦争は
日本が世界で孤立して
踏み切らざる得ない戦争だった。


太平洋戦争の最も反省すべき点は、
世界で孤立し、負けるに決まっている戦争に
踏み切った事だ。
実は、政府の首脳も軍の幹部も誰一人、
この戦争に勝てると思っていた人間はいなかった。
無責任に煽っていたのは、
マスメディアだった。

戦後、アメリカが
「日本は侵略国で連合軍は正しい」と主張し続け、
僕を含め多くの日本人が
その押し付けに洗脳されていた。
だから、僕は再びこんな馬鹿げた戦争を
繰り返さない為に、
戦争に至る歴史を正確に伝えたいのである。

馬鹿げた戦争が起きる可能性は
これからもある。
そうなるとマスメディアは
戦争礼賛になる。
だから戦争を知らない若い人達に、常に考え、
話し合って欲しいと願っている。

 ソース:田原総一朗 公式ブログ
(2011年3月2日投稿「戦争に熱狂した新聞・ラジオ」)

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2月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

 

 

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少女は公園を三か所まわって滑り台を楽しんだ

2022年02月21日 | 身辺あれこれ

最初の公園でスプリング遊具を楽しみ

図書館に行って絵本を探し

銚子丸で寿司を食べたあと、二つ目の公園で滑り台を三回登り

旧中川の遊歩道を歩いたあと三つ目の公園でも滑り台を楽しみ大満足でした。

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250万円の大型淡水魚                      10年前の今日 2012年2月21日「阿智胡地亭Shot日乗」掲載

2022年02月21日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

先日、久しぶりにホームセンターへ行って剪定用のノコギリを買いました。
いきつけのホームセンターのペット売り場は結構充実しているので、必ず足が向きます。
 大型水槽に見慣れない大きな魚が何匹もいました。値段を見ると250万円というのがありました。
ホームセンターでこの値段を出して買う客がいる??不思議な感じがしました。
 あまりにも大きな魚を見た後は、黒メダカ10匹600円、タイリクバラタナゴ5匹650円がとても安く思えて
思わず買ってしまいました(笑)。


 

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なぜ日本に米軍基地があるのか?            2011年02月14日(月) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月21日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

♪太平洋戦争の敗戦から66年、日本国憲法九条が米国にとって「不都合な真実」だと公式に表明しだしたアメリカ国民の代表者の集まりであるアメリカ議会。

いまこの内田樹さんの論考を読んでおくのは無駄ではない。


一部引用・・

しかし、「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」を問わなければ、在日米軍基地問題の解にたどりつくことはできない。
「アメリカが沖縄や日本国内に基地を引き続き持ちたがっている」ということから議論が始まっており、「なぜ、なんのために」基地があるのかについては、不問に付されている。
その理由が解明されなければ、日本人は何もできない。
「なんだかわからない理由で居座っている人をどういう言い分で立ち退いてもらうか」というような難問に解はない。
アメリカが日本にいる理由がわからない限り、基地問題の解はない。
けれども、日本人はその理由を意識化することを拒否している。

      中略

日本は敗戦国だが、韓国やフィリピンはそうではない。
そこだけが違う。
敗戦国であることは恥ずかしいことではない。


歴史上無数の敗戦国が存在したし、帝国の属領になった土地も無数に存在する。そのすべての敗戦国や属領がそれだけの理由で国民的矜恃を失ったわけではない。

多くはその後も絶えず叛乱と独立の機会をうかがい、しばしばそれに成功した。


 敗戦国民の基本的なマインドセットは「臥薪嘗胆・捲土重来」である。


「次は勝つぞ」なのである。


それがいかに現実的に困難なことであっても、気概としては「次は勝つぞ」でなければならない。


 その上で、「宿敵」アメリカとの歴史的和解を「主体的に、決然と、選択する」というのがことの筋目なのである。     引用終わり

全文はこちらclick

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