阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

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旧中川とふれあい橋とスカイツリーと水鳥と

2022年02月19日 | 東京あちこち

図書館の帰り 寿司の「銚子丸」へ足を伸ばした後、旧中川の遊歩道にまわって帰りました

少女と三人でこのコースを歩くのは初めてでした。

歩行数 6787歩   歩行距離 4.2km

 

 

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“枡梅の”花々              14年前の今日 2008年2月19日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

昨日は“白梅”の画像を掲載clickしましたが、今日は垂水のさくらさんこと安本久美子さんから送ってもらった京都のお茶屋 “枡梅” の画像です。

と言っても梅の品種ではなく、京都の祇園甲部のお茶屋さんである「枡梅」の艶やかな花々の画像です。







京都には6つの花街がありますが、「枡梅」は祇園甲部といういちばん大きな花街にあるお茶屋さんで置屋でもあります。

もちろん一見さんお断りだそうです。


この29日に舞妓としてお披露目する子の花名刺と千社札



「京都の花街のいろは」に興味のある方はこちら

さくらさん、神戸トアロードのチャイナドレスのブティック“良友”で誂えたチャイナドレスが、京都のお茶屋のお座敷でもよくお似合いですね

小扇さんとお2人のツーショットをありがとうございます。

 京都と神戸の美しい花々の写真を沢山ありがとうございました。

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人の考えや法律や感覚は 時代時代で変わる   今現在の見方だけで昔を計かると大間違い  ヒロポンが合法だった戦前

2022年02月19日 | びっくり画像・映像

嘘かと思った 戦前の新聞広告から。

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2月18日に目に留まったSNS・メディアの記事

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小岩の四川料理の店「辣香坊 -しんこうぼう」で豆苗炒めと海鮮焼きビーフンを楽しんだ。

2022年02月18日 | 食べる飲む

先日小岩の「船庵」clickに煮魚定食を食べに行ったとき店の前を通ったような記憶がある四川料理の店「辣香坊」に入った。

 秋葉原を越えて電車に17分乗る水道橋よりももっと近場で「豆苗炒めや焼きビーフン」がメニューにある店が

ないかを あいかたにネットで調べてもらったら この店が乗車時間5分の小岩にあるのがわかったからだ。

店はこの状況下なので「密」の真逆の「疎」そのものだ。広い店内に客は ばらばらに離れて席についている。

目当ての「豆苗いため」と「海鮮焼きビーフン」はとてもおいしくて 残さず全てお腹に納まった。

むろん紹興酒は欠かせない。

オーダーを取る女性は日本語で注文を取ってくれるが 彼女と厨房の男性二人とあと広い店内に座った客二組 全員中国語で喋っていた。

店にいる間 日本人は 私一人だった。調理方法も調味料も全くの向こうそのものだから この店はこの辺り在住の新華人が愛用している店のようだ。

豆苗とビーフン料理は本来台湾料理(福建料理)だろうと思うが 新華人をお客のメインとするからにはこの四川料理の店でも

メニューに入れたのかも知れないが 町中華の店にはないアイテムなので 阿智胡地亭にはありがたい店だ。間違いなく時々来る店になった。

途中でテイクアウトの注文が電話で入ったが そのやりとりも中国語だったし、取りに来た男性も中国語でやりとりしていた。

 小岩のあたりも今や通り過ぎる人たちが中国語を始めとして韓国語やヒンズー語など いろんな国の言葉を スマホで喋って

歩いているのは日常のことになっている。

小岩駅の駅前風景

 

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川柳作家「三條東洋樹」展に寄りました。        10年前の今日 2012年2月18日の「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月18日 | 音楽・絵画・映画・文芸

神戸労災病院での循環器内科の定期診断の日だったので朝から出かけた。担当のT医師に診てもらったあと、
歩いて病院から10分ほどの「神戸文学館」に行った。神戸文学館に来ると、神戸と言う街は戦前からクリエーターの厚みがある
空間だなあといつも実感する。病院⇒神戸文学館⇒中華「同源」@阪神岩屋⇒散髪@阪神御影⇒阪神新在家⇒
食品スーパー「めぐみの郷」@桜口⇒クシカツ「まるたけ」@六甲道と移動した。万歩計は一万歩をはるかに越えていた。

下の写真アルバムは矢印をクリックするとスタートします。あるいは画面にマウスを置いて一枚づつ追ってください。

 

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チアダンス・アンバー全国へ 下諏訪町長表敬          長野日報

2022年02月18日 | 諏訪便り

2022年2月17日 6時00分   全国大会での活躍を宮坂徹町長に誓った「アンバー」のメンバー

下諏訪町を練習拠点とする信州チアダンス教室下諏訪校コスモスネオ所属の中学生チーム「amber(アンバー)」のメンバー6人が16日、

下諏訪町役場に宮坂徹町長を訪ね、3月27日に千葉県の幕張メッセで開かれる「USAスクールアンドカレッジナショナルズ」への出場を報告、活躍を誓った。

アンバーは下諏訪中の1~3年生の6人で構成。小学校高学年時に現在のメンバーに固定してから、週3日の自主練習と週1回の指導者指導により、

個々の技術とチームの連携に磨きをかけ、昨年はチーム初の全国大会となるチアダンスチャンピオンシップに出場した。

USAナショナルズ大会では2年前に全国大会出場を決めたものの、新型コロナウイルスによって大会が中止され、出場が夢に終わった因縁の大会。

しかし昨年12月にあった甲信越大会のジュニア編成Pom部門スモール(9人以内)で1位となり、再び全国大会の出場権を獲得した。

現在、新型コロナウイルスのまん延防止措置期間中のため練習会場が確保できず、屋外や知り合いの工場の空きスペースを借りるなどして練習しているメンバーたち。

チームキャプテンの生徒(14)は「今のメンバーで出られる最後の大会で、4年間ずっと目標にしてきた大会。まずは楽しんで良い成績を残してきたい」と話した。

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2月17日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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JR浅草橋駅で降りて「蔵前橋」を渡り、両国駅まで歩く     その2  蔵前橋

2022年02月17日 | 東京あちこち

蔵前橋通り  ウィキペディアから引用

蔵前橋通りくらまえばしどおり)は東京都文京区サッカーミュージアム入口交差点から、千代田区台東区墨田区江東区葛飾区を経由し、

江戸川区の市川橋手前の国道14号千葉街道)との交差点にわたる道路の通称。

路線名としては、国道4号昭和通り)との交差点を境に東側は東京都道315号御徒町小岩線西小岩二丁目の東京都道60号市川四ツ木線交点から東側は同路線である。

都心から千葉街道に直通し、千葉県方面に通ずる重要な交通拠点であり、総武線にほぼ近いルートを通っている。

京葉道路靖国通り)・春日通りなどと区間を平行することから、重要なハブとしての機能も果たす。

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JR浅草橋駅東口から 蔵前橋までは歩いて10分ほどだった。トップの画像はwebから借用。

川は墨田川

橋は生活道路としても機能していて何人もの人が歩いて渡っていた。渡り終わった場所の道路標識

ここを歩いてJR両国駅に向かうと「江戸東京博物館」や 森哲雄さんに教えて頂いてご一緒した「横網町公園」や「東京都慰霊堂」clickの前を通過した。

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「本宮一」豊平・玉川 諏訪大社上社抽籤式 長野日報

2022年02月17日 | 諏訪便り

御柱祭 

今春の令和4年諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)に向け、上社本宮、前宮に建てる計8本の御柱の曳行担当地区を決める抽籤式が15日、諏訪市の本宮で行われた。

抽籤総代が神前でくじを引き、2人の立会人、北島和孝宮司が内容を確認後、神職が結果を発表。幹回りが最も太い本宮一之御柱は「豊平・玉川」が担当することになった

同地区が本宮一を担うのは2004(平成16)年以来で18年ぶり。参列は大総代のみの31人だった。

抽籤式は本宮月次祭に併せて行われた。雪が舞う中、神職に続き、四脚門から斎庭に入った抽籤総代は、事前に参集殿で行った

1回目の抽籤(順々籤)の結果に従って右片拝殿に座った。神事に先立ち、神前に供えた籤をくじ立てに差し入れて、

本籤を引く順番を決めるための2回目の抽籤(順籤)を行い、結果に基づいて「金沢・富士見」の樋口尚宏抽籤総代(66)=茅野市金沢=から本籤を引いた。

本籤の結果、本宮二は「原・泉野」、本宮三は「宮川・ちの」、本宮四は「金沢・富士見」、前宮一は「四賀・豊田」、前宮二は「湖南・中洲」、

前宮三は「湖東・北山・米沢」、前宮四は「本郷・落合・境」と決まった。本宮一を引いた矢島正恒抽籤総代(67)=同市豊平=は

「(本宮一という結果に)びっくりしたが、立会人や北島宮司に見ていただき、正式に 発表されたことで抽籤結果を改めて確認できた。

1月2日から始まった抽籤祈願は、コロナ禍のため毎日というわけにはいかなかったが、地元の氏子の願いをひしひしと感じていた。

皆さんの期待を 力に変えて抽籤式に臨 むことができた」と振り返った。

斎庭には大総代が距離を開けて2列に並んでいすに座り、抽籤結果を固唾をのんで見守っていた。神職の正式発表を聞き、御柱祭本番に向けて気持ちを引き締めていた。

上社大総代会でつくる上社御柱祭安全対策実行委員会の小松秀敏事務局長(68)=諏訪市中洲=は「まずは抽籤式が無事に終了してほっとしている

。曳行担当が決まり、境内が大歓声で沸く、過去の抽籤式を思い起こせば、寂しさを感じるが、一方で厳かな雰囲気だったともいえる。

多くの氏子さんが本宮に来たかったと思うが、そこを理解していただき、感謝している」と語った。

 

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「死ぬ時に後悔すること25」を読んでいます         2011年01月14日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 


この本は昭和51年生まれの医師が書いた本だ。阿智胡地亭からするとずいぶん若い人に思える。

しかし彼はすでに1000人の人間の死に立ち会った。その中でジタバタせずに死んでいった人は3人しかいなかった。

残りの人はみな後悔して死の航海に出た(この表現は書中から)が、その後悔は共通することが多く、つきつめると25になる・・という。

 日本のお寺の坊さんが葬礼ビジネスに走り、個の死と向き合ってくれないから、この列島に生きる人間の大半が死に向き合うのは、

病院の病室の中であって、死に立ち会うのは宗教者ではなく医療従事者になる。

宗教がそれでもまだ個人の生活に密着している他国なら、このような本は医者ではなく、宗教家が書いてくれるのだろうなあと思いながら読んでいる。

この医者は著者紹介文を読むと、阿智胡地亭も会員になっている「日本尊厳死協会click」❝リビングウィル受容協力医師❞であった。


 つまり「リビングウィルー生前の意思」を認めることに協力してくれる医師の一人だった。

彼は死と向き合う場に多く立ち、人は尊厳を持って死ぬ権利があることを身に沁みて感じたに違いない。

死ぬ時に後悔する25のこと  要約
  1. 健康を大切にしなかったこと
  2. たばこを止めなかったこと
  3. 生前の意志を示さなかったこと
  4. 治療の意味を見失ってしまったこと
  5. 自分のやりたいことをやらなかったこと
  6. 夢をかなえられなかったこと
  7. 悪事に手を染めたこと
  8. 感情に振り回された一生を過ごしたこと
  9. 他人に優しくしなかったこと
  10. 自分を一番と信じて疑わなかったこと
  11. 遺産をどうするかを決めなかったこと
  12. 自分の葬儀を考えなかったこと
  13. 故郷に帰らなかったこと
  14. 美味しいものを食べておかなかったこと
  15. 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
  16. 行きたい場所に旅行しなかったこと
  17. 会いたい人に会っておかなかったこと
  18. 記憶に残る恋愛をしなかったこと
  19. 結婚をしなかったこと
  20. 子供を育てなかったこと
  21. 子供を結婚させなかったこと
  22. 自分の生きた証を残さなかったこと
  23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
  24. 神仏の教えを知らなかったこと
  25. 愛する人にありがとうと伝えなかったこと
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2月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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JR浅草橋駅で降りて「蔵前橋」を渡り、両国駅まで歩く     その1  左衛門橋

2022年02月16日 | 東京あちこち

東京から千葉方面への幹線道路には京葉道路と蔵前橋通りがあり この大きな二つの道路は阿智胡地亭には近所の身近な存在だ。

しかし蔵前橋通りの「蔵前橋」という名の橋は見たことがなかったし、どこにあるかも知らない。

橋の大体の位置をGoogleMapで頭に入れて 某日、総武線の駅の中ではあまり縁がないというか ほとんど下車したことがない

秋葉原と両国の二つの駅の間にある浅草橋駅で降りてみた。

 そして「蔵前橋」を渡った。渡る前に浅草橋駅のあたりをぶらぶらした。雛人形の「久月」や「吉徳大光」などの大店が並び

ビーズなどの材料店が軒を連ね 今苦境にある小さな飲食店が沢山 並んでいた。

 浅草橋駅の西口で降りてあたりをぶらぶらしたら小さな橋があった。「左衛門橋」と言う名で川は間もなく墨田川にそそぐ神田川だった。

川は神田川 

引用元

江戸時代っぽい名だけれど……

 JR総武線浅草橋の西口(地味なほうの改札口)から南下したところにかかる橋。

 橋の名前=左衛門の語感が古めかしいが、江戸時代にはこの橋はまだなかった。

 もっとも、もとをただせば確かに江戸につながりのある名前ではあるようだ。

 実はこの橋の北詰すぐのところには、1598年から明治維新までずっと、出羽鶴岡藩(あるいは庄内藩)の大名・酒井左衛門尉(さえもんのじょう)の下屋敷があった。

 このため近辺の河岸地に、殿様にちなんだ「左衛門河岸」の名が定着しており、明治に入って「橋をかける」ということになった際、直接にはこの河岸地の名前をとるかたちでこの名が残ったらしい。

 ちなみに、屋敷跡周辺は明治5年に町屋化され、隣町「浅草平衛門町」にちなんで「新平衛門町」と呼ばれたそうだが、のち、明治23年からは「浅草左衛門町」と呼ばれるようになった。
 これも、あくまでも「左衛門河岸」にちなむらしい。(現在は「浅草橋1丁目」に統合)。

 なお、橋の正確な来歴の情報は(今のところ)見つけられないでいるため、明治時代の複数の地図から大体の初架橋時期を推定して「明治10年ごろ」とした(手持ちの資料中では、明治8年発行の地図には記載がなく、明治11年の地図にはすでにこの橋が記載されている)。

 

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