家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

シーザーミラン

2010-07-07 07:14:57 | Weblog
先日次男の所に行ったとき

「ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル映る?」と聞かれた。

「映るよ」と答えると

「出てるよ」と言う。

何のことだと思ったらザ・カリスマドッグトレーナーのシーザーミランという人物がいて彼が私に、じゃなくて私が彼に似ているということだった。

次男の嫁が言う。

「よくポロシャツを着ているし相手のことをよく聞きズバッと答えるところも似ている」

帰宅して早速TVを見た。

シーザーミランは背が低いしガッチリした体型は似ているのかなと思った。

番組は「イヌで困っているお宅を訪問して話を聞く。シーザーミランが、その犬に接すると、たちどころにその犬が変わってしまい飼い主も目からウロコ状態になって喜ぶ」というものだ。

飼い主の態度や考え方がイヌを不幸にしているケースだから犬というよりも実は飼い主を変えるのだが。

我が家でもイヌ(♀のシュナウザー)を飼っていた。

長男と次男の生まれに1年10ヶ月の開きがある。

犬がその間に我が家にやってきた。

だから長男 長女(イヌ) 次男 という子育てをした感覚だ。

イヌも人間も育て方が一緒だったという記憶がある。

そのように育った次男が私をシーザーミランに似ているというから、その目で見てみた。

イヌに対して毅然とした態度で臨むというところが、私がシーザーミランと似ていると思ってしまう理由かもしれない。

つまりシーザーミランがイヌに対しての臨み方と私が子供たちに対して臨むそれと似ているのだろう。

ただその前提として私は子供たちを(イヌも)大いに認め大切にしてきた。

同じようにシーザーミランの「言わないが感じ取れる」真の姿として見ているのだろう。

私は光栄であると感じた。

ただシーザーミランのヒゲは少しいやらしい感じがした。