家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

天神蔵飲み放題

2010-07-20 06:58:51 | Weblog
天神蔵という老舗の酒蔵があり、そこには地ビールもある。

この季節は1500円で飲み放題という企画をしてくれる。

我が家から徒歩で30分ちょっと。

日陰を選んで歩いた。

蔵の庭にも席はあるが我々は蔵の中にした。

蔵の中はヒンヤリしていた。

地ビールは3種類あり、それぞれをピッチャーで注文した。

まずは黒ビールのポーター。

続いてホップの効いたピルスナー。

そしてフルーティーなヴァイツェン。

店内はにぎやかだが、喧しくはない。

それは蔵の高い天井やゆったりとした一人ひとりのスペースのおかげであろう。

ピッチャーは900ミリの容器に入っている。

それを4杯。

今夜は出張バーテンダーが来ていた。

そのカウンターからピンク色のカクテル1杯と梅酒1杯。

先日草刈りをした土地の所有者がやってきてスイス土産をくれた。

彼はダイエット中なので残念ながら飲めず。

だが草刈りの終了を祝って乾杯。

たまたま吹矢の例会で優勝したので乾杯。

乾杯の理由は何でもOK。

最後に蔵の若奥様と話が出来た。

仕事のできる美人だ。

忘れるほど以前に訪れた我々を覚えていてくれた。

これが分かっていたら、それでもう一度「乾杯」できたのだが。


玄関前モミジ

2010-07-19 09:34:39 | Weblog
玄関前に植えてあったモミジが大きくなった。

それは喜ばしいのだが斜めになっているため車の出入りに邪魔になってきた。

杭を打ってモミジの姿勢を矯正することにした。

静かな住宅街に杭打ちの音が響き渡る。

向かいに越してきた人が、あまりの大きな響きに笑い出した。

忘れた頃使う「垣根結び」で頭をひねっていると長男の同級生であるK君がやってきた。

彼に教わり難なく結び終えた。

杭の長さをそろえモミジの剪定をして私の担当は終了した。

モミジは夏向きの涼しい装いに変身した。

暖系色の外壁に対して緑が映える。

妻は玄関前に置いてある水瓶の水を取り替えした。

まずは中に住む生き物の捕獲から。

金魚とドジョウをバケツに移す。

真っ黒い泥の中で逃げ惑う魚たち。

追いかける網。

汚れた水をくみ出し水瓶の壁に着いた汚れを洗い流す。

きれいにし過ぎない頃合が難しい。

心情としては新品のようにしたいのだが魚の気持ちを思いやり、少し汚れを残す。

水道水のカルキが抜けるまで魚たちには狭い中で少し我慢してもらう。

さっそくバケツから飛び出したドジョウ君。

玄関床で捕獲し元に戻されてフタが乗った。

きれいになった水瓶に戻されて魚たちが喜ぶのかどうか誰も分からない。



友人の土地の草刈り

2010-07-18 09:04:59 | Weblog
6月中に終える予定にしてあったが雨で延び延びになっていた。

春野にある友人の土地の草刈りだ。

涼しくなるまで待ち4時過ぎからスタートした。

ヴィッツの中に刈払い機を2台積み込み妻は後部座席に座った。

倒木はあるが比較的刈りやすそうな地点から妻が力の要りそうな地点から私が刈り始めた。

ここは草が、ほぼ木になりかけているのでチップソーでしか刈れない。

2台の刈払い機が一斉に鳴り響き時折石にチップソーの当たる音が「チーン」と鳴る。

少しエンジンの回転数を上げて刈る必要があった。

道路際から刈り始めて30分後に妻と目が合った。

汗まみれではあったが笑っていた。

「そんなに楽しいのか、この労働」と思った。

ほぼ1時間で敷地の草刈りを終えた。

再びガソリン補給をして次は川原と川原に下りる道を刈った。

こちらはマムシの居そうな場所が多いので気をつけた。

竹やヤブムラサキなどはナタで切り倒して進む。

流れの緩やかな淵と少し流れの早い瀬の部分の両方が見える。

気田川の濁流とは違った清流が見えていると作業もはかどる。

友人がバーベキューをし易いように砂利の部分までの道を確保して終了した。

たぶん友人より先に私が、ここをランチの場所とするであろう。



ニオイと気持ち

2010-07-17 08:20:55 | Weblog
イヌでもネコでも漂うニオイを嗅いでいるときがある。

鼻を上に向けて小刻みに上下させて、あるいは鼻の穴を広げたり狭めたりして。

恍惚の表情を見せていることもある。

たいていは食べ物の匂いであるが時に女性の化粧の匂いだったりする。

最近ジャイロキャノピーというオートバイに乗っているがオイルをカストロールという物にしてみた。

2サイクルエンジンはガソリンと一緒にオイルも燃やす機構になっている。

吐き出される排気ガスには煙と一緒に匂いも出てくる。

これがなかなか良い匂いなのだ。

昔のオートバイは惜しげもなく煙と匂いを撒き散らしていたが今は大気汚染をなくすため両方の少ないオイルに変わってきている。

さてこの匂いというものはバカにできない。

同じカストロールTTS Racing というオイルを草刈り機に入れてみた。

オートバイは排気ガスを出して移動してしまうから信号待ちの時くらいしか匂いを嗅げない。

ところが草刈りは作業している時に実際に自分の排出している排気ガスの匂いを嗅ぐ機会が多い。

すると「あぁ、いーぃ匂い」となる。

うなぎ屋なりラーメン屋などの前を通るとプーンと漂う良い匂いというものに出会う。

匂いが食欲を湧かすことは誰でも経験している。

そんな感覚の「揚げ物屋」の前に居るような匂いがカストロールTTS Racingの匂い。

カストロールの匂いが作業欲を駆り立ててくれる。

これだけ自分を変化させるのだから、たぶん脳内物質なりホルモンなりが劇的に変化していると思う。

「ニオイによる治療」なんて安上がりで効果的でいいんじゃないかなぁ。

ただし長持ちしない気はするが。

ドクダミを刈ったりすると一瞬で「クゥッサー」となるからだ。

気田川 泥水

2010-07-16 08:27:05 | Weblog
「夕べはガンコ降ったで」とY爺さんが軽トラの窓から大きな声で言った。

天竜川の河口近くから川を見ながら北上する私は水の多さを実感してきた。

堤防下のグラウンドや自転車道等は水没していないがモトクロス場として利用している場所は完全に水の中だ。

途中で二俣川が天竜川に合流するが、こちらはきれいな色をしている。

釣り客までいるぐらい、ごく普通の状態に近い。

春野の我が家の前を通る気田川は泥色をした大水がとうとうと流れている。

土石流とは言えないが普段は透き通った水が有名な川だけにY爺さんの言ったことばの重さが分かる。

この泥水が天竜川の色の源だったと知る。

川床の砂利を少し移動させて別荘群を水没させないようにした処置は正しかった。

さもないと濁流に飲み込まれる家を見ることになりそうだ。

泥を含んだ水の音は、いつものサラサラ流れる清流とは違って、まるで恨みを持っているかのような不気味なすご味を持つ。

水底から泥を押し上げたかと思うと上から下に押し戻す。

そんなことを繰り返しながら橋脚にぶつかり押し流そうとする。

流れている水だけでなく川底から川全体が怒っているかのようだ。

猛り狂う川に住む魚たちは命からがら、どこかに避難して怒りの納まるのを待っているのだろう。

雲の色は、まだ怒りが収まっていないことを示している。

時折現われる青空が余計に黒い雲の恐ろしさを物語る。

空の神の怒りが鎮まるのを切に望む。


盆義理

2010-07-15 08:11:30 | Weblog
母がギックリ腰になったため代理として盆義理に行ってきた。

祭壇にはキュウリの馬とナスの牛が飾られていた。

所によってはアズキで目を作ったりナンテンの葉で耳を作ったりするらしい。

隣家の人たちがやってきて松焚きの行事を始める。

祭壇のロウソクから火を松の薪に移し、それを庭で燃やす。

燃えている松の薪を長い木で出来た箸を1本と木の枝を1本の、まるでチグハグな2本を使って掴む。

そして別の誰かに箸と箸で空中で手渡しして運ぶ。

それらを門(かど)に置いて燃す。

送り火といわれるものだ。

箸まで燃し燃えカスは地面に埋めて終了。

続いて祭壇の前で食事会だ。

母は出身地だから知り合いが多いのだろうが私は知らない人だらけ。

「まあこんな経験も貴重だな」と思いつつ箸を進めた。

初めのうちはおとなしく食べ始めるが次第に隣に座った人との話が進んでくる。

リストラに遭った話  相撲の話  ありゃ誰だという話 

いつでも、どこでも、誰とでも楽しくという私の心情の通り過ごした。

引き出物を持って母のところに報告に行った。

「白髪頭の丸顔の人はいたかね?」

本来自分が出席していたら会えたはずの古い知り合いを私の脳裏から探し出そうとしていた。

「隣に座った人は、こういう人でね」と説明すると

「あぁあぁ。あの人はこうこうこういう人だよ」と嬉しそうに詳しく教えてくれた。

少しは母に出席した気持ちになってもらって代理の役割は終了した。

ピザ屋のオートバイで参加した私を、イトコたちが笑って送ってくれたことを思い出しながらシャワーを浴びた。


今年のモリアオガエル

2010-07-11 10:34:20 | Weblog
妻が大鉄鍋の中からオタマジャクシを見つけて容器に掬い入れた。

「なんでこの中にオタマジャクシがいるの?」と不思議がる。

ひょっとしたらと思いケヤキの樹を見上げた。

「あった」

今年も卵をケヤキの枝に付けてあった。

2009/06/30ブログに載せたモリアオガエルの結果は全滅であった。

去年の産みつけの位置はひどく鉄鍋から離れていた。

これじゃ、よほど運が強くないと生き残れないぞと思ったものだった。

今年も去年と大差ない場所に付けてあった。

だが2匹の生存は確認できた。

黄色ばんだ白色の卵の包みは破れて垂れ下がり中の個体はそれぞれ落下して運命を分けた。

一体何個の卵が孵り、そして散ったのか分からない。

生存率の悪さは産んだ親に対してこう言いたくなる。

「去年より少しは、まともな位置に産んであったが、まだもう少しずらして鉄鍋の真上に付けられないものか?」


小雨のジャイロキャノピー

2010-07-08 07:44:58 | Weblog
韓国語教室を出ると雨は小降りになっていた。

家を出るときには曇っていたのだが授業中に音を立てて雨が降り始めた。

ジャイロキャノピーの雨降りの性能を確かめるときが来た。

まずはエンジンをかけてワイパーを始動する。

前から突いてくるヤリを頭は動かさずに腰だけを動かして避ける感じでワイパーブレードが雨粒を拭く。

なんなく発進してウインカーを出して曲がる。

「ちょっと待てよ」   タイヤが滑りそうな感じ。

道路は、びしょ濡れだし普通の二輪よりもかなり大きく車体を倒す必要がある。

少し加減しながら曲がった。

信号で止まる。

横からの雨が右腕だけに雨を降らせる。

左手のブレーキつまりリヤブレーキをかけると足を道路に着かなくても、そのまま直立していてくれる。

だから右足は濡れない。

だが走ってしまえば、それも全く関係ない。

曲がっているときに気が付いた。

後のタイヤの巾が広くてフェンダーからはみ出ている。

その部分の水が跳ね上がり倒している私の体にかかる。

「そうか。はみ出た部分を覆わないと水をはねるな」

少し慣れてきた。

車の通りもないし晴れの時のように曲がってみるか。

「よいしょ」   と車体を倒す。

「あら」     前タイヤが横に滑り出した。

これは最悪だ。   最も苦手な動き。

やはり曲がるときには注意しようと実感した。

15分で帰宅した。

心配した妻が出てきた。  「大丈夫だった?」

「おお。何ともないよ。さすがに雨に強いぜ、ジャイロ」と答えた。

荷物入れから5キロ入ったキムチの箱詰めとチャンジャを出して渡した。

先生に頼んでおいた物で韓国から取り寄せてもらったのだ。

大きなトランクも役に立つ。

まだまだ余裕しゃくしゃくだ。

ただガソリンを大喰らいする。

リッター当たり15kmしか走らない。

これじゃぁマゴマゴしたらヴィッツに負けちゃうじゃん。


シーザーミラン

2010-07-07 07:14:57 | Weblog
先日次男の所に行ったとき

「ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル映る?」と聞かれた。

「映るよ」と答えると

「出てるよ」と言う。

何のことだと思ったらザ・カリスマドッグトレーナーのシーザーミランという人物がいて彼が私に、じゃなくて私が彼に似ているということだった。

次男の嫁が言う。

「よくポロシャツを着ているし相手のことをよく聞きズバッと答えるところも似ている」

帰宅して早速TVを見た。

シーザーミランは背が低いしガッチリした体型は似ているのかなと思った。

番組は「イヌで困っているお宅を訪問して話を聞く。シーザーミランが、その犬に接すると、たちどころにその犬が変わってしまい飼い主も目からウロコ状態になって喜ぶ」というものだ。

飼い主の態度や考え方がイヌを不幸にしているケースだから犬というよりも実は飼い主を変えるのだが。

我が家でもイヌ(♀のシュナウザー)を飼っていた。

長男と次男の生まれに1年10ヶ月の開きがある。

犬がその間に我が家にやってきた。

だから長男 長女(イヌ) 次男 という子育てをした感覚だ。

イヌも人間も育て方が一緒だったという記憶がある。

そのように育った次男が私をシーザーミランに似ているというから、その目で見てみた。

イヌに対して毅然とした態度で臨むというところが、私がシーザーミランと似ていると思ってしまう理由かもしれない。

つまりシーザーミランがイヌに対しての臨み方と私が子供たちに対して臨むそれと似ているのだろう。

ただその前提として私は子供たちを(イヌも)大いに認め大切にしてきた。

同じようにシーザーミランの「言わないが感じ取れる」真の姿として見ているのだろう。

私は光栄であると感じた。

ただシーザーミランのヒゲは少しいやらしい感じがした。


新たなケモノミチ

2010-07-06 05:53:31 | Weblog
物置の移動で使い勝手が良くなった。

奥まで見えるようになったから「広くなった」という気分になる。

移動して良かったなと実感している。

だが鹿にとっては困った事態になってしまったようだ。

前オーナーは敷地の裏に鹿の通るケモノミチがあることを承知して物置を壁代わりとして立てた。

物置手前の人間側に鹿が入り込まないようにという目論見だった。

長い間それは守られてきた。

最近その均衡が崩れた。

鹿の通り道には草が覆い茂っている。

どうやら使われなくなってしまったようだ。

もう少し裏に新たなケモノミチを発見した。

物置が取れてしまったものだから鹿が通るのが丸見えになってしまってしまい、すると彼らは通りづらくなってしまった。

前オーナーが「鹿が入らないように」との配慮が今までは、むしろ鹿の通行を楽にさせていたのだ。

「入れないように」という、人間側の論理は「見られないように」という意味で鹿を利することになっていた。

「入ってこないで」という人間側の思いは通じるわけもなく「通っていいよ」という逆の思いとして伝わっていたようだ。

今度のケモノミチも、ほぼ絶壁のような崖だ。

今までのところから数十メートル離れている。

草刈りを徹底的にやっている私は、それだけでもケモノ達にとって不利益を与える最悪の人間に映っているのかもしれない。