明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



古書会館の永井荷風展最終日。打ち上げがあるとのことで、ついでに搬出。今回の企画は『人魚の嘆き』という会員制バーを経営される荷風ファンの松本彩子さんが発起人となり催されたものである。私はかつて拙著に“未だ荷風ファンの女性にお目にかかったことがない”と書いたのだが。  古書会館の2階は、たいして広くはないのに来場者は1500人を数え、北海道から来た人もいるらしい。ある人物の催事で、作品や愛用品など展示されているのはファンとして嬉しいことだが、同時にオマージュ作品の展示は、後世の人たちの中にどう生きているかを知る上で面白いことだと思う。  荷風は最後、近所の大黒屋のカツ丼を吐いて死んだ。哀れで孤独な死だ、という意見が多いが、私はまったくそうは思っていない。真反対という意味でも、三島由紀夫とならんで2大男性作家の死に様、と思っている。たとえば、タンスの前にころがった子供の玩具に、家庭の幸福の一場面をみる人あれば、そこに人の哀れと人生の残酷を感じ、戦慄する人だっているのである。(私は後者である)荷風を哀れんでいるようでは、哀れなのはお前の方だ、と荷風にいわれるのがオチであろう。私には、歯磨きチューブを最後の一絞りまで絞りきったような、天晴れな人生にみえる。惜しいのは使わずに金が余ったことくらいか?   帰宅すると友人のTさんから、半年ぶりの立川談志の独演会で談志の声が聞けた、といかにも嬉しそうなメールが届いた。ここ6、7年で一番声が出ていたそうで、数年の間の絶望感がチャラだったそうである。

01/07~06/10の雑記
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