明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日雑記に書いた続きである。 5年ほど前某作家で、ある連作を考えた。それは制作したところで、公表は難しいものになりそうである。しかし私には、すくなくとも(生きていたら)作家本人にはウケるはずだ、という自信があった。私はそこにこだわりを持っており、亡くなっているからといって、イメージをいただく限り、オマージュの名の下に好きに作ればいいとは思っていない。乱歩作品にしても、実は常識的で世間体を考えるご本人を考え、乱歩の眉間に皺が寄らない程度を心がけた。そこに必ず乱歩独特の可笑し味がでてくるはずなのである。  発表できない作品だからといって制作欲は抑えがたく、いずれ制作を開始するのは間違いない。さらに『中央公論Adagio』の表紙を担当し、都営地下鉄駅近辺という、必ずしも画になり易いとはいえない、背景と人物の組み合わせに頭を悩ますうち、私の思い付きの範囲であれば、技術的にも大概の条件はこなせるような気になっていた。機も熟しつつあると思った先日。私が考えたことを、すでに約40年前に発想し実行した編集者がいたことを知ったのである。頭に血が上った私は“あんなこと”を考えた方に、会えるものなら直接お会いしてみたい。それは陽の目を見ることがなかった企画で謎も多く、ほとんど封印されているが如くの話なのである。幸い連絡先が判り一か八か、2日かけて書いた手紙に拙著など添えてお送りした。 数日経ち、冷静になって考えてみれば、先方からすれば、訳の判らない面倒な話であろう。一人で盛り上がってしまったなァ、と思い始めた本日夕方、なんとご本人から直接電話をいただいてしまった。引越しされ、住所が変わり荷物が転送され、礼状が遅くなっても、とお気遣いいただいてしまったのであった。私は、あの本やこの本を作られた方と今話しているのだ、と思うと上がってしまったが、連休明けに直接お会いする約束をいただいたのである。連休なぞ無ければいいのに、と思う私であった。

01/07~06/10の雑記
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