明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島は映画『憂國』において、帝國陸軍将校として腹を切った。先に本人にやられてしまっては、同じことをしたところで面白くない。そこで『奔馬』のなかの『神風連』の一人としてやってもらうことにした。昔の雑誌には烏帽子に鎧姿で挙兵したとあっだが、『嵐の時代明治9年』大坪草二郎著(1932年)によると、鎧を着た者もあったが、烏帽子に直垂や、久留米絣の筒袖に袴という者もあり、どうやらバラバラだったようである。考えてみると明治も9年経っているし、敵が鉄砲や大砲で向かってくるところを、わざわざ刀や槍で戦おうと考えた連中である。死ぬつもりなのだから防御に関しては無頓着である。登場人物は断髪令に廃刀令、と侍の魂を奪われてまで生きていたくない。なにしろ死にたい、死なせろ、いつ死なせてくれる、とまるで腹をすかせた子供の如しである。三島一人の割腹に衝撃を受けた昭和の時代とは訳がちがう。 しかしこの乱の雰囲気を出すとなれば、烏帽子を被らせ鎧を着せたい所だが、腹を切るなら、鎧は脱いだろう。脱ぐとなれば被った烏帽子も脱いだろう。だったら手足を防御する具足類だけにするか、これに陣羽織を着せるかにしよう。 何も制作上頭に浮かんだ細かいことを書く必要はないが、Kさんと飲んでいる話より良いだろう。と思うのは私だけなのか、アクセス数は減る。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )