この作品は、ほとんど全編にわたり梅雨の曇天でしかも夕暮れ時である。気分としては鏡花作品でもあるし、多少煙っていても月の一つも浮かべたい所であるがしかたがない。しかしその日の昼間は晴天で、印旛沼あたりに住む河童の三郎が海辺へやってきて日向ぼっこをしていて事が起こる。が本作について堀辰雄が本作に対し「なんと色っぽいのだろう」という友人がいると書いている。もしどこか色っぽいシーンがあるとしたら、現代人の野暮な私の目から見ると、娘の着物のすそから覗くふくらはぎくらいしか思い当たらない。書かれた昭和6年という時代を考えれば、なかなかの光景であったろう。好色な河童はそのおかげで怪我をすることになる。それに全体像が見えてくると、全編にわたる曇天の中に、娘の裾から覗く裏地の赤が際立って効いている気がしてきた。赤色といえば他には漁師の赤フンドシと、彼らが捕らえた巨大魚がしたたらす血が出てくるが。白いふくらはぎとセットになった娘の裾は、唯一陽を浴び、海面の反射を受け輝く赤である。もう1カット増やすことにした。
せっかく泉鏡花像が手元にあるのに出番がない。いつもは主人公を作者にやってもらっていたので、本来は人間側のリーダーである笛吹きの芸人をやってもらうべきであったが、数カットならともかく、今回は人間との共演場面が多い。動きもなく質感も違う人形では長丁場は持たないと判断し、異界の住人以外は生身の人間にやってもらうことにした。残る可能性は姫神に仕える翁であったが、異界の人物が眼鏡をかけているのはどうかということもあったし、河童といえば過去に制作した柳田國男があった。(柳田のヒゲも、異界の住人にしては形が少々俗っぽくはあるが)。これで鏡花登場の場面はないはずであったが、一つ役があるのを見落としていた。作中、話のポイントとなる巨大魚イシナギの、大きさの表現に筆者として悩む鏡花である。
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