明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『貝の穴に河童の居る事』のマテ貝は、細長い筒のような形をした10センチほどの貝である。穫る場合は、穴の上に塩をかけると、塩分濃度の変化にビックリしたように頭を出し、そこをすかさず引っこ抜く。この作品が発表された昭和の初め頃はどうだったか判らないが、現在はアサリやハマグリのように、誰しもが知っている貝ではない。せっかくビジュアル化するのであるから登場させてみたい。すでにニョッキリ砂から顔を出しているカットは用意してある。100円ライターが砂浜に突き刺さっているようではあるが。 ところが紙面にそのカットを差し挟むスペースがない。編集者は要らないのでは、というが、細長い奇妙な形で、砂の中を上下する“穴”なのであり、それをイメージしてもらうことは悪くないだろう。 本日、改めてマテ貝を登場させるシーンを思いついた。 河童の三郎がマテ貝の隠れ家である穴に逃げ込み、そうとは知らない娘が覗き込む。実際は外から見える穴は2、3ミリ程度のもので、着物姿の娘が砂浜に這いつくばって覗き込むことはあり得ないが、覗く娘の瞳の美しさに三郎がうっとりしているところを、貝を掘り出そうとした旅館の番頭のステッキで突かれて腕を折られる。 瞳が覗き込んでいる様子はすでに作っており、三郎が半身海水に浸かりながらぼーっと見上げている所を作るつもりでいた。それをマテ貝の住処は留守でなかったことにしようと考えた。穴の中で小さく変身した三郎が、大木のようなマテ貝にしがみつきながら娘の瞳を見上げている。作中マテ貝自体は登場しないが、この奇妙な場面こそ私が作るべきであろう。思いついてしまったらもう終わりである。これは物心ついて以来患いっぱなしの持病である。そう思うと、この場面だけでなく、制作中の作品全体が病気のたまものといえなくもない。この病気を悟られないためには、「鏡花や乱歩がそう書いているんだから仕方ないでしょう」。そういいながら溜め息の一つもついて見せるしかない。

 “大荒れの台風の日。佃の渡し船の絵を描いていて、煙突の東京都のマークがどうしても描きたくて、マンホールのマークを見に行った幼稚園児の私を止められなかった母”が写経したものを深川不動に持っていくというので付き合い、その後T千穂へ。せっかくなので、まだ隙間だらけの原稿を見せた。母も顔なじみの人に出演してもらっている。「Kさんは出てこないの?」「主役の河童にホンモノ使ってどうすんだよ」。

去の雑記

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