明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ロシアの文豪が描かれた油彩画。文豪の生前に描かれたらしいことは判ったが、私にはどうも未だに本人に見えない。耳があきらかに小さいし、エラが張ったように見える顎も、実際は髭から透けて見えるラインは細く華奢である。多少のデフォルメをするものかもしれないが、作風からして考えられない。似ている人物をモデルに使った、というとぴったりくる。結局疑いながら参考にしなかった。そもそも人の創作物を参考にすること自体、癪に触るのでよいのであるが。明日文豪の背後に立っていただくべく著者を撮影するので、この絵が本人を目の前にして描かれたものか、ご存知であれば伺ってみようと思っている。もっとも、どこが公式にが認めようと自分が変だと思ったら自分の気持ちに従うことに決めている。『笑う奴ほどよく眠る』吉本興行社長・大崎洋物語では、間違いなく御本人を撮影した写真だ、と判っていても、数年前とのニュアンスの違いに、混乱するので直前に撮られたものだけを参考にした。  某県名張市に、いったい誰なのかさっぱり判らない銅像が立てられた。上野の西郷隆盛像は除幕式で奥さんが「これは別人です!」といったそうであるが、できてしまったものはしかたがない。金属類の供出をさせられる時代が再びくるのを待つしかない。 銅像といえば、私は松尾芭蕉を作った時に、全国に乱造され、未だに増え続けている芭蕉像に呆れて開いた口が塞がらなかった。芭蕉の身近にいた門弟達が、師匠はこんな人である。と描き残しているにもかかわらず、ほとんど無視されている。よって私は門弟3人の描き残した肖像画以外、いっさい参考にしなかった。その結果イメージが違う、といわれたが、俳句のイメージが芭蕉を枯らさずにおれないわけで、全国を精力的に歩き回った人物であるから、このくらい生々しいのは当然であろう。制作中、資料のために図書館に通う道すがらにも一体あるが、何が納得できないといって、全国の枯れ木じみたジジィが私より年下であることであった。実像にこだわったのは、ひとえにこの1点に対する不満であった。へんな銅像になりたくなければ死なないことである。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )