ニコニコしながらフラフラしているところは仙台四郎の生まれ変わりのようで、しかし迷惑ばかりでご利益皆無のKさんは、傷を保護する頭のネットは取れたようだが相変わらずである。このままだと酒で身体壊すより前に、事故死が待っているであろう。だんだん怪我で流血の間隔が短くなってきた。ある時など車道によろけて出てしまい、私がとっさにシャツの背中をつかんだからいいようなものの、一瞬遅かったら車に頭を砕かれていたであろう。一歩間違えば今頃、「ホントに中に何も入ってなかったんだって!あの頭みたいに見えたのは単なるダミーだったんだよ」。「そんな馬鹿な?じゃあなんで歩いたり喋ったりしたの?」「そのくらいオモチャでもするわ」。「一緒に風呂入ったけど、電池入れる所やゼンマイまわすところなんてなかったよ?」。などと、皆で悲しみにくれていたかもしれない。 あれは18の時であった。友人のアパートに遊びに行く途中、寸でのところで車に轢かれそうになった。死にそうになった、ということでは病気だろうと車だろうと同じことである。しかし目の前で麻雀に興じる連中に、どれだけ死ぬ可能性があったか説明したところで、それがどうした?であろう。これから先、痛い目や様々な目に遭うだろう。生きて行くということは大変なことであるなァ。と一升瓶かかえてボンヤリ友人等を眺めたのを覚えている。 しかしあれから幾年月。とりあえずここまでは無事にきた。私が現在もっとも避けたい死に方は、Kさんを助けようとして死ぬことである。
編集者は著者の顔を画面に入れたい、しかしそれは原稿を読み、著者の方をイメージする限り難しそうである。そこで私が考えた、著者は後ろ姿で顔を見せずに済みながら、なおかつその人物が著者と判り、文豪と同じ画面内に納まる方法。著者からOKが出たそうである。 私は過去に、普通の商店街と住宅しかない馬込に三島由起夫を立たせた。標高の低いところでは画になりようがない植村直己を商店街に立たせ、嫌いなせいか、はとバスのガイドや外人のアベックなど配して、少々皮肉めかせることになったが、坂本龍馬を今の大手町に立たせた。当時、乾物屋のオヤジを火星に立たせることさえ可能な気になったものである。
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