着彩を終え、陽が落ちるのを待ち撮影する。文豪には赤味がかった室内光が当たり、薄暗い背後には、青みがかった窓の光が当たった著者が立っている。私の頭の中にあった風景が無事とりだせた。パッと見にどちらも人間に見えたり、どちらも作り物にみえたりするであろう。生身の人間だろうと人形だろうと私の土俵に立てば等分に扱う。 残された文豪の写真は、少なくとも私が見たのはスタジオで撮られたもので、(スナップ撮影が不可能な時代である)秘密警察立ち会いのもとであるかのように、心ここにあらずなものが多い。しかしあきらかになんらかの意思をもっているように描きたかった。文豪が空虚な表情では、背後で文豪の存在を意識するようポーズをしてもらった著者が浮いてしまう。 早朝4時。ほぼ完成したが、最後に一カ所。文豪は背もたれのある椅子に座っている設定である。そのタイプの椅子がないので、6時を待ってT屋に朝食をとりがてら、椅子の背もたれを撮影させてもらう。帰宅後さっそく文豪に座ってもらったが、この椅子が先日Kさんがコケて5針縫った時の椅子でないことを願う。 結局寝ないまま、麻布十番の田村写真に色見本を作ってもらいにいく。田村さんと久しぶりに音楽の話などできた。無事入稿。社員のHさんが初来日のストライプスを観てきたという。かつてのヤードバーズ、デビュー当時のザフー、などを想わせるアイルランドの15、6歳のバンドである。ボーカルが声変わりの最中だったそうだが、私が武道館で声変わり中で黒人だった頃のマイケル・ジャクソンを観たように、Hさんも後々自慢できるだろうか。演奏は見事。後はボーカルの表現力とプロデュース方針にかかっているだろう。 眠気でボンヤリしながらもK本に寄る。相変わらず情報誌だかTVやネットだかを観た客で溢れている。人口密度の低いネブラスカあたりから出てきたのであろう。狭い所の人間の距離間隔を解さない客がいて、数回来ただけで我が物顔で大きな声で喋っている。アナログカメラをぶら下げた客が、女将さんを撮ろうとして食い下がって叱られていた。 情報誌は煮込み特集などではなく、“何十年通おうと、アウトになったら二度と敷居をまたげない店特集”というのはどうだろうか。常連はその厳格さを知っているので、誘蛾灯に集まる蛾が電気ショックでバチバチ焼け死ぬのを楽しみにしている。 下町は気安いおっちょこちょいばかりだと誤解されるのは松竹映画の影響であろうか。『フーテンの寅』の主題は、いかに生まれ育とうと、バカは定住をゆるされず追い出されてしまうことにある。と解するべきである。お呼びでないことに気づく繊細な寅だが、忘れて帰ってきてしまうところがバカである。 まあ近所の誰かのように、救急車で運ばれないぶんマシであるが。
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