明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝っぱらからKさんからの電話が3回鳴って切れる。これはKさんがよく使う手で、自分からではなく、こちらにかけさせれば、多少罪悪感が薄れるとでも思うのであろうか。腹が立つから出ないでいると、先日の“事故現場”から懲りずに酩酊状態でかかってきた。 血が止まらないKさんを病院に連れて行ったFさんから、Kさんが涙ぐんでいた。と訊いた。房総で早朝に自転車に乗ろうとして頭をぶつけ、その後ガードレールに激突して通行人に救急車を呼ばれそうになった時も、携帯の声は涙声であった。「情けなくて泣いたんだろ?」。というと電話の向こうで「カナカナカナ」としか聞こえない高笑いをしている。 百歩ゆずって空っぽでないにしても、頭の中に入っているのは、せいぜい干からびた梅干しの種程度であろう。そう思うとこれは笑い声ではなく、マラカスのように頭の中の種の音ではないのか?という気がしてきた。一見頭のように見える部分は、ガラガラ蛇の尻尾のように、カナカナの音を出すための部位なのであろう。どうりで大事であるはずの頭を守る気配はなく、受身もとらずに必ず頭からいくはずである。尻尾など踏まれようと切られようとたいしたことはないということであろう。

ロシアの文豪は資料写真を見ると眉間に皺をよせ、秘密警察立ち会いのもと撮影したような顔をしている。初個展が『ブルースする人形展』で、以来男ばかり作る私の、どちらかというと得意分野であろう。おかげでこんな駄文を書いていられるほどスムーズに制作が進んでいる。関西の社長を作り、ロシアの文豪が完成すればまた河童である。ここのところ触れ幅が大きい。 社長自伝本は12日発売だそうである。出版社のHPにまだ掲載されていないので詳細は避けるが、初めて作ったサラリーマンであり、なおかつ笑っている。笑っている人物も黒人シリーズの頃、2、3体作った記憶があるが珍しい。と思ったら『中央公論Adagio』で、植村直己も笑わせていた。板橋の商店街にかかる橋の上で白熊の革だかのズボンを履いてエスキモー犬に囲まれている。笑っていなければ他にどんな顔をすれば良いのだ、という話である。と思ったら手塚治虫も笑っていた。こちらなどなおさらである。

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