明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日も一日田村写真。オイルプリントは油性インクの配合、混ぜるニスの量などで調子が変わる。同じものはできない。よって展示の期日までプリントし続け、できの良い物を1点選んで展示することになる。田村写真に制作をお願いした、水彩画用紙にゼラチンを塗布した紙も今日で使いきる。 最後に難航したのは江戸川乱歩の『盲獣』であった。これは実物のヌードに乱歩を配した作品であるが、ヌードの陰影のグラデーションを表現するのが難しい。乱歩にポー。それぞれ3カットづつ。すでに想定の枚数はそろっていたが、要素の異なる『盲獣』を並べてみたい。なかなか上手くいかず、残された紙もあと1枚。ここで起死回生の1カット。絵の具の配合により、コントラストは低いがヌードの滑らかさが出た。オイルプリントの表現の幅を見せる為にも、これを選ぶことになりそうである。 私は昔、ある企業に作品を盗まれ、弁護士を立てて製造中止にさせたことがある。弁護士は私に「真似されるということは作品が良いということですよ」。といった。しかし私はそれは違う、と思った。被写体を自分で作って撮影している私が、良い悪いはともかく、地球上に私一人になる方法としてのとどめであり最終手段が今回の作品である。理由は馬鹿々しいから誰もやらない。でも良いのである。むしろそれが私の最大の武器である。

※世田谷文学館にて展示中

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古書街で文献を漁り、91年から独学で始めたオイルプリントだが、当時日本に話し相手など皆無である。海外のネット上のサークルに参加してみた。世界中から集って情報交換している気の良い人たちの集まりで、私がロバート・ジョンソンのオイルプリントを投稿すると、英語がサッパリの私を補足してくれるように、このブルースミュージシャンは十字路で悪魔と契約し、などといってくれる人が現れたり、なんだこれは、と驚かれ、チヤホヤしてくれる。日本の反応と随分違うな、と気を良くしたものである。だがしかし。ほとんどが懐古的な連中で、テーマが古臭い。なつかしの故郷や、ゴシックロマン調の城郭など、カビ臭くてしょうがない。技法が古いのにテーマまで古いのでは話にならない。どいつもこいつも、しょうがねェな。と遠のいてしまった。ところが今手がけているのがエドガー・ポーである。日本には撮りたくてもゴシック調の城郭などない。バチが当たったというべきか。

※世田谷文学館にて展示中

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