ドストエフスキーはどういうわけか口を半開きにしているポートレイトが多い。それではホコリが入る、と親にいわれなかったのだろうか。私はいわれた。髭も実際は密度もなくポヤポヤである。これは粘土ではどうしようもない。私が作った像も実は口を開いていたのだが、鼻の下の髭が陰となってそう見えない。口を閉じることにした。 松尾芭蕉を作った時、勝手な芭蕉像ばかりだ、と弟子達の描いた肖像画にこだわったが、実は私より年下のくせに、枯れ木のような老人像ばかりで頭に来ていた訳で、ドストエフスキーは過去の肖像画家がそうしたように文豪然とさせることにした。 ところでドストエフスキーの肖像画といえば、世界的にもっとも有名なのがこの画であろう。ところが困ったことに、私にはどうしてもドストエフスキーに見えないのである。制作時、これだけリアルに描かれているのだから参考にしたいところであったが、まったくできなかった。どこからか髭生やした農民連れてきて座らせたようで、未だに別人に見える。耳小さいし。
深川の人形作家 石塚公昭の世界展
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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回