明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日イラストレーションwebの第5回その① という連続対談 見る人が「リアル」だと感じるのは形よりも質感?を読んだ。まさに私がここ最近気になっていたことが書かれている。 英一蝶が川面に映る影を描いたのが日本人初の「絵の中の影」らしい、とある。以前書いたが、小学2、3年で、遠足の絵を描いていて、水面に映るボートの影を描いたら、「なんでこんな物描いた?」担任と、隣のクラスの担任となにやら揉めた。『浮世絵の時はパースを狂わせたり、大げさに描いて面白がらせたりしてるのに、洋風の描き方にする時は抑えちゃってますよね。』これはまさに私がつげ義春の『ゲンセンカン主人』を制作した時、悩んだことで、陰影がある、ということはすなわち現実、つまり、現実と異なる日本的遠近法との矛盾が生じてしまう。結果遠近感を変えながらグループ展の出品作を2回も差し替えることになった。次回の個展では日本的遠近法を捨てた4カット目を出品する。 『石膏デッサンは、要するに明治時代「本場」でそう習っちゃったからそのまま続いてんだよ。』あんなつまらない物はないので私は数えるほどしか描いたことがない。 今書いていていて思ったが、ボートの影の時、かばってくれたのは学校を代わる際、私に偉人伝をくれた田中先生であった。ということは3年生の時である。2年の時の担任は交通安全ポスターのコンクールに、私の作品だけ出すの忘れたといった教師である。小学校時代は見て見ぬフリをされ続けた。小学生に面と向かって「子供の絵じゃない」ってなんだよ。あの頃すでに、私は独学ものとして自分の道を行くことが決まっていたと思う。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

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