明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



建物を作ったといえば、江戸川乱歩では先日工事現場から煉瓦が出て来て話題になった浅草十二階こと陵雲閣が最初だったか。フォトショップで線ををひいては色を塗るという原始的な方法で作った。子供の頃“いろはにこんぺいとう”ではじまり“光るはオヤジのハゲアタマ”で終わる言葉遊びがあったが、バナナは高い、高いは十二階、十二階は恐い“”というのがあって、十二階が何故恐いのかが判らなかった、それが中学生になり江戸川乱歩を読んで陵雲閣を知った。中で恐ろし気な絵が飾られていた、という話しを聞いたことがあるから、お化け屋敷的な恐さだったのか、高いから恐いのかは知らないが、関東大震災以前から口伝えで伝わってきたと思うと面白い。 同時期に乱歩が弟等と経営した団子坂にあった『三人書房』も作った。当時HPのアンケートで撮影に適当な古書店を答えていただいたが、乱歩が簡単なイラストを残しており、エッセイで蓄音機を置いただの書き残していたので、アンケートに答えていただいた方々には申し訳なかったが、それを再現することにした。これは明智小五郎初登場作品『D坂の殺人事件』で明智がコーヒーを飲みながら眺める殺人現場の書店としても使った。明智小五郎は俳優の市山貴章氏。若き乱歩のつもりの人物はすでに人形と人間の合成をしていたのを思い出した。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

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