明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



禅宗の坊様からしたら、座禅一つしたことがない私は笑止千万であろう。にもかかわらず、人間も草木と同じ自然物だから、答えはあらかじめ自身に備わっている。そう思うようになり、“外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想”に至った。出無精の言い訳のようではあるが、これでも20代の頃は、情報誌片手に個展会場を回ったものである。それがいつしか他人の作品見て感心している場合ではない。と出無精をこじらせて行き、美術館に最後に出掛けたのはいつだったろうか。コロナ禍以前から、そんな調子だし、散歩嫌いである。 達磨大師は9年、洞窟で壁に向かって座禅を組んでいたため、手足が腐ってなくなったらしいが、粘土はアマゾンが運んでくれるし、食事も今は何とかなりそうである。手さえ動けば良いや、なんて頭の隅にある私だが。最近右膝が痛い。長年の胡座と歩かないせいだろう。特にひねると痛いので、横を向いて寝られない。ドラゴンスクリューだけは受けてはならない。 これから達磨大師を作ろうというのにこれはまずい。仕方がない。エアロバイクを注文した。金魚水槽を眺めながらなら、何とか続くのではないか?

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