明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



皆既月食だろうとブルーインパルスが輪を描いていようとわざわざ空を見上げることはない。夜外を歩いていて、今上空は月食かな、とよぎっても見上げないくらいである。随分前に、実演で観てみたいのは、後はジョニー・ウィンターと、春風亭昇太くらいと書いたことを覚えているが、すでに観た。最も好きな画家の一人、クラナッハ展は大きな、しかも長期間展示していたのに、ついに観にいかず。自分でも呆れた。世界の絶景、秘境の類も、子供の頃読んだ探検物でイメージした世界以上の物が実際にあるはずがない。昔ツアーでニューヨークに行った時、イタリア人街や中華街から一歩も出ずに死ぬ人がいると聞いて、そのあまりの狭さに、バカなんじゃないか?と思ったものだが、気が付いたら私がそうなっていた。そう思うとまったく面白味のない、ご隠居のようである。 しかし何より見たいのは、間もなく目の前に現れるであろう、臨済義玄が拳を握って”喝!“という姿であるし、達磨大師に己の腕を切断して差し出す慧可が、立体となって目の前に現れるはずである。幼い頃、頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうのか?と考え込んだが、あの頃の私に“何処にも行ってないし、ちゃんとここにあるぞ”といってやりたいのである。

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