日本画では着衣の皺を衣紋線というらしい。作者の特徴が出るようだが、私の作品にも特徴があるだろう。ジャズ、ブルースシリーズの頃からやり方は一緒で、着衣の皺なんて、写真、実物など参考にしたこともないし、当然事実とは違う。これで特徴がないはずがない。ジャズマンのスーツだろうと禅師の法衣だろうと一緒である。頭部に時間をかけるが、着衣はそれに対してザックリと行く。これが陰影をなくす手法になり、日本画のように見えることに貢献しているだろう。 かつての絵画主義写真、ビクトリアリズ写真は、西洋画が手本であったのに対し、日本的絵画主義写真といっている。かつてそんなピクトリアリズム写真などなかったからで、それは廃れた技法オイルプリントを経験したから余計に運命的に感じる。もちろんこの手法ありきで寒山拾得に至っているのはいうまでもない。とはいえ今述べた技術的なことはすべて、たまたまそうなった、と私自身思い込んでいるのだが、書いていると、そんな都合よく事が運ぶことなどあり得ない。なので、ヘソ下三寸の丹田辺りに、表層の脳よりマシな、もう一人の私が居る、ということにしているが、いずれにしても間違いないのは〝考えるな感じろ”の賜物であることである。