臨済宗の高僧の詳細な肖像を残す、という習慣がいつからなのかは判らないが、日本に禅をもたらせた栄西の頭がどう考えても実際の形の訳がない、円筒形の臼状で、それも、作るに至っていない大きな理由の一つであった。頭を意図的に変形させた古代ペルーではあるまいし。 しかし浄土宗の法然頭ではないが、特徴的な形は、何か高僧の能力を象徴しているかのようでもある。すると栄西の場合は、記憶力を高める修行の結果、四寸ほど頭が伸びた、という伝承があるらしい。 夏目漱石が写真師に、鷲鼻を修正させたのは許さなかった私だが、たとえ伝説だろうと、公式に?伝わっている、と判れば異を唱える気はさらさらない。風狂僧のイメージで、一休和尚にシャレコウベ枕に寝させてしまった私だが、顔に関しては事実にこだわりたいところである。