建長寺に創建時から残るのは蘭渓道隆手植えのビャクシンの木と鐘だけだと思っていたら、もう一つ、開山蘭渓道隆が坐禅したという坐禅窟の存在を知った。現在対面坐禅の臨済宗も、江戸時代前期辺りまでは、禅宗の開祖達磨大師同様、壁に向かって坐禅をしていたそうである。背景として座禅窟を撮れたとしても、こちらに背を向けることになり諦めたのだが。 面壁坐禅といっても、鼻が壁に着くような距離ではない。となると壁にレンズが埋まっていると想定し、入り口に向けて背景を撮れば、蘭渓道隆の画面一杯の坐禅姿の周りに外部からの光で蘭渓道隆の背後から後光で包まれる、かのような画にならないだろうか? 東京の昭和30年代の下町ではしつこい男は嫌われ、小学生が「男は諦めが肝心。」などとぬかしていたものだが、さらに何事においてもすぐヘコタレる私だが、こういうことになると突然変身し、まるでマムシに蛸足の如くしつこく諦めが悪い。しかしシャッター音の小さな小型カメラを手に見張りに立たせ、様々潜入して来た私も。聖域に立ち入ることはさすがに出来ない。