雲水姿の一休和尚は、酒の入った瓢箪を肩に掛け背中に網代傘なるものを背負っている。松尾芭蕉で一度作ったが、今回は卓上ロクロで回転させながら作ることにした。思えば陶芸家を目指したのは工芸学校含めおよそ4年間であったが、その経験が生かされたわずかな機会である。そう思って指折り数えると。 昔写真家の吉田ルイ子さんのお宅で飲み会があった時、蕎麦打ちをやる方がいて、蕎麦粉を練る時に、試しに粘土の要領で菊練りというのを試させてもらった。それは粘土を混ぜるだけでなく、空気を抜くためのものだが、同じように出来た。 馴染みの飲み屋でレコードプレーヤーを出して来てレコードをかけようとなったが、ドーナツ版に必要な、なんと言ったか真ん中のアダプターがない、というのでかけるたびに、私が指でツンツンと芯出ししてターンテーブルの真ん中にレコードを配した。岐阜の製陶工場で皿の絵付けのために散々やった。改めて考えると、今日を含めてたった3回しかない、という寒々しい結果となった。まあ粘土と出会った、ということで良しとしたい。もっともそのおかげで、写真作品制作の98〜99パーセントは被写体制作に費やしている。