明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



臨済宗開祖『臨済義玄』の修正。着彩を残し終わった。いわゆる〝怒目憤拳“怒りに満ちた表情に左拳を握り締めている。口は喝!と発しているのだろう。 開祖なのに何故だか肖像を検索してもほとんど出てこない。立体に至っては中国のへんな胸像くらいである。中国の検索エンジンでも同様であった。 知られているのは中国のある僧が注文して描かせた肖像画が日本に渡り、大徳寺周辺から流布していった物である。オリジナルはおそらく残っていないのだろう。下手くそな物も混ざるうち、私が参考にしたのは一休宗純が賛を書き、弟子の曽我蛇足が描いた物である。立体化したものの、あまりにも無いので、臨済義玄が私の肖像は残すな、と言い残していたのではないか?と思うくらいで、だとしたら、悪いのは私ではなく曽我蛇足であり、一休和尚である。 切断された女の脚を風船に結んで、浅草寺上空を飛ばした時も思った。「私じゃない!乱歩が『盲獣』にそう書いてるんだから。」



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