明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蘭渓道隆や無学祖元の七百数十年前は、今は坐禅の時、袈裟を着けない臨済宗はどうだったのか、臨済宗の関係者の方に聞いていただき、当時は臨済宗も袈裟を着けていた、とお答えいただいた。やはり。 初個展の時、私が作ったピアノの鍵盤の数を女の子が数えているのを見てゾッとして以来(適当だった)出来るだけの事はして来た。九代目團十郎を作った時は、今年亡くなられた義太夫三味線の鶴澤寛也さんに紹介いただいた国立劇場で十二代目や海老蔵丈を撮影している方にメールで質問したら、十二代目に電話で聞いていただいてしまったこともある。 これで躊躇することはなくなった。二人の袈裟を作り始めたい。 時代はずっと後だが、見せ物として発展した生き人形という世界がある。圧倒的な作品もあるが、中にはリアルな死体になっている物も散見する。木を見て森を見ずといえば良いか。禅宗の頂相彫刻との違いが良く判った。何のために作られたか。これは大きい。



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