明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



師の法を弟子に伝えるために描かれて来た肖像画、頂相。迫真のリアリズムで姿形を写して来たはずの頂相にたいし〝形の上で表せるようなものではなく無相である“を一瞥〝極意、奥義“ を感じ、思わず頁を閉じた。 活き人形の職人が、弟子に陰毛を差し出し、男女を分けてみろ、というのを名人のエピソードとして読んだ記憶があるが〝木を見てと森を見ずだと思った。衛生標本の製作ならまだしも。昔大阪まで活き人形展を観に行き、非常に面白くはあったが、私とはリアルに対する考え方が違っていた。中には木を見ていて森に達してしまったような作品もあったけれど。 件の極意は私にはほとんど禅問答だが、極意、奥義ではないか?と感じたところで、まずは令和5年の暮れとしては上出来としておく。ここからああだこうだ考えるのは得策でないことは判っている。後はそれこそ考えるな感じろで、面壁坐禅替わりに制作を続けるだけである。



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