明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても、たとえば寺の開山様が頂相や頂相彫刻がいくつもあって、そのいずれもが別人の如く顔が違う、人の数だけ真実はある、とはいうものの、手を合わせる側は、何で平気でいられるのだろう.と私はどうしても思ってしまうのである。作る対象が作家だろうと僧侶だろうと人間である限り、アプローチの仕方は変わらない。 幼い頃から三遊亭圓朝を知る、鏑木清方が描く三遊亭圓朝が顔やプロポーションが写真と違うのは何故か、と迷えば気になって明治期の演芸誌をあさってみたり、写真がこうだからと、いって油断はしない。今後も日本人を騙し続けるだろうから、生きている間、ことあるごとにいってやろうと思うが、夏目漱石は痘痕だけでなく、鷲鼻を修正させていたし。という訳で、私如きがとは思いつつ、私なりの人物像を作って行きたい。



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