明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



主人公がおとしめられたり虐められたりのドラマなど見たくない。朝ドラ『どんど晴れ』は石原良純の詐欺師がでてきたところで観るのを止めようと思ったが、地蔵に手を合わすような男なので、たいした悪党ではないと、未だ観続けている。観てから朝食にT屋へ行く。私と同じマンションのYさんがアダージョを持ってきてくれたけど、お客さんが持っていっちゃったという。表紙に御自由にお持ち下さいと書いてあるからしかたがない。駅に売るほど置いてあるので今度持ってきます。 今日は夜の間、店に出ているご主人がいた。タクシーの運転手や、新聞販売員と飲んでいる。「石塚さんは飲らないの?」「起きたばっかりですから」「俺も」 この店は昼もやってるし、閉まっているのは何時なのであろう。帰り際「今度朝から飲みましょう」といわれる。 K本が休みなので夕方ふたたび行ってみると、ご主人が同じ調子で飲んでいた。時間の経過が良く判らない。YさんやMさんなどK本の常連も現れる。この店は何時閉まっているのか聞くと、思ったとおり決まっていなかった。ご主人領収書を求められ、何年だっけと、カレンダーを見ていた。私同様、ケジメのない生活をしているとこうなる。

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そろそろアダージョ4号用の撮影だが、天候のせいで延びている。撮影地の許可や、背景の着物姿の麗人の手配もある。麗人は後姿だけという指定である。御主人に知られてはいけないという配慮からである。というのは、だったら面白いのに、という作り話だが。 背景は東京都内とは思えない自然の残る風景の予定だが、伊賀の影丸が木の葉隠れの術をしたまま、片付けないで行ってしまったというような状態らしい。できれば毎回、何か試みてみたいと考えている。 台風の間は自転車に乗れなかった。きっと乗りたくて我慢できなくなるだろうと思ったら、そんなこともなく、“落ち着いた”ごろ寝生活に戻っただけである。それでも、手に合わなかったグリップを換えたり、背負うザックを物色したり、これからの季節に向けてスポーツマインドが湧き上がっている。ただ傍目には判らないと思う。

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台風が接近しているというので、出先から早めに帰ろうと錦糸町からバスに乗った。 後ろの座席には、おそらく50近い男と30中頃の女。(顔は見ていない)仕事関係の知り合いらしい。男はコンビニ関係の企業に勤めているらしく、明日NHKに出演するようである。事前に取材まで受け、明日も随分長い拘束時間だが、交通費と食事代しかでない、などと話している。唐突に男が映画の話をしだした。 男「タクシードライバーって映画知ってます?」 女「昔観たような気がします。ジュディ・フォスターとロバート・デニーロじゃなかったですか?」 「人の名前は知らないんだけど」 「確かジョディ・フォスターが少女の娼婦役だったでしょ?」 「そうでしたっけ」 「私も昔観たんでよく覚えてないんですけど」 「そんな昔じゃないでしょ?」 「いえ、随分昔でしたよ」 「あ、そうか、シリーズ化されてたかもしれない」 「へえ、知らなかったわァ」 「凄い映画ですよね」 「ええ」 「なにしろ、しまいにタクシーにジェットエンジンですもんね」 不思議なことだが、少なくとも私がバスを降りるときまで、二人は熱心に映画“タクシードライバー”について語りあっていた。

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朝、早く目が覚めるおかげでNHKの朝ドラを観ている。きっかけは白石美帆が、主人公をおとしいれていたあたりである。私はヒロインが虐められるドラマなどマッピラなのだが、観てしまうと悪役が改心するまでつい観てしまう。 子供の頃、親が観ていたので、花登筺などの浪速商人ドラマを観させられたものである。一家にテレビが複数台ある時代ではないからしかたがない。それは東京の下町の子供に、関西に対する偏見を植え付けるには充分なドラマであった。つねに主人公は虐められ、盗み聞きし悪い噂を流す、がめつい登場人物。子供の私には考えられない世界であったが、その分、悪役が改心するまで観ないではいられないのであった。朝ドラでは、バカ息子役の東幹久も改心し、これでもう気が済んだところで、悪役ズラの石原良純が登場。観るのを止めるなら今であろう。 先日、某TV番組出演の打診を受ける。この番組は今年に入って、メールがきたのが三人目である。おそらく人形とカメラを持って撮影してる私のそばを誰かが通りかかり、何をやってるんですか?散々打ち合わせしたのにかかわらず、初めて会ったような顔をして、こんなバカバカしいことやってます。などといわなければならないのであろう。宣伝してもらいたいこともないし、幼馴染のTやSや、その他もろもろの連中を、笑わせてやるわけにはいかないので遠慮させていただいた。

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作りかけの文豪の仕上げに入る。千葉から帰ったら、文豪の懐中時計の鎖をアクセサリー作りの友人Hの高田馬場の工房へ、分けてもらいに行くつもりであったが、自転車を担いで一休みしていた千葉の千倉駅で丁度良いチェーンを拾っていた。届け出るほどの物でもなかったので使うことにする。たった数センチの鎖で出かけないで済んだ。下は見ながら歩くものである。台風が迫っているらしいが、イメージでは晴天の夏の夕景である。撮影はもう少し待つことにする。 数日ぶりにK本に出かける。常連は知っている。私のポケットが膨らんでいれば首が入っているし、バックを持っていれば完成間近のブツが入っている。有名人の人物像なら、ここでウケなければいけない。造形的にどうかなどという意見は興味がないし、いう人もいないが、単に人間像と見てくれれば、様々な人間を見てきた常連の目を通した意見は、耳をかたむけるに値するのであって、私はまんざら酒の肴に披露しているわけではないのである。 先日、初めて来た客が女将さんのMさんに、婆さんもがんばってるなといって怒られたらしい。70過ぎているのだから間違いではないのだが、怖い物知らずはいるものである。私はとてもいえないが、常連はMちゃんと呼ぶ人が多い。 「ポッピー屋(ホッピービバレッジの社員)が、もしかしたらK本が日本で一番ホッピーが出てるんじゃないかといってた」と誰かがいっていた。HPをみたら「猫とおばさんの店」と紹介されていた。おばさんでセーフ。

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全身筋肉痛。いいかげん座りっぱなしの生活は改めないとならないと痛感。しかしブレーキをかけずに延々と海岸沿いを走るのは爽快であった。東京に帰ればこうはいかない。 南房総に来たら鯨と青魚である。鯨の解体は先月25日で終わったので、残念ながら観れなかったが、鯨肉はたらふく食べた。小学校時代の給食の記憶では、固くて不味い鯨肉であったが、美味い部分は、いったい誰が食べていたのであろうか。この辺りは12月ともなれば菜の花が咲いている。次回は好物の菜の花をたらふくというのも良い。 帰りは再びカネシチ水産に寄り、思い残すことの無いよう食べ、江見で自転車を折りたたんでバックに詰め東京へ。


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さらに記憶が曖昧である。せっかくなので、釣りでもしようと岸壁にでかけたのは、この日のはずである。 餌を買いに行くと、防波堤でキスが入れ食いだという。いつものことだが、地元の情報を聞いたときには、すでに遅い。釣り糸を垂れてるそばから釣り人がいなくなっていく。小さなサメや、見たことがない小魚など釣りながらボンヤリ過ごす。ふたたび魚惣に行き、サンマを刺身にしてもらい、その他アジ刺しなど。青魚はここに決めている。くじら肉のブロックを東京に送ってもらい、明るいうちから飲み始める。

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