明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



赤富士を背景の北斎。背景はなんでも良いが、主役に陰影がないのでスーパーのチラシ調にはならない。他の富士では少々地味なので、結局赤富士にした。タコの脚に絡まれた北斎に比べると随分あっけない。感心されるくらいなら呆れられたい私ではあるが、呆れられてばかりでもしょうがない。タコでは色々な意味でウンザリもしたので、流れとしてはこれで良い。 3作目は画室の北斎にしたい。開け放たれた窓から当時はどこからでも見えたであろう富士山。こちらの富士は実物を使いたい。自身を戯画化して描いたものに、布団にくるまって座り、目の前に尿瓶が置いてある。描く以外のことは何もしたくないという感じが良く出ており、こんな人物を描くのに私は相応しい。今日も朝から起きたと思ったらもう夜の11時である。最近頻繁にそういうことがある。実力の不足している分は、時間を投入して補うしかない。 ここで北斎は一旦休止、北斎は2点で充分だろう。夏には別の場所での個展の可能性もあるので、やるならそちらへ廻して鴎外か乱歩に取りかかろう。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


撮影  


北斎2作目のカット。撮影してみると塗りムラが気になるので、ベタ塗りに塗り直した。フィルム時代には考えられないことである。乾くのを待って撮影。 最近の手法で手こずったのは、陰影法と同時に日本的遠近法までで導入しようとしたことであるが、もし少しでも光を描きたかったら矛盾が生じるのでそれは止めておく方が無難である。これは面白いと勇んだところで『ゲンセンカン主人』でつまづいた。この作品では最終的に遠近法を捨て行灯の作る陰影を選んだ。それに絵画と違って、写真ではよほどデフォルメしないと、遠近法の歪みが目立たないことも判った。そこまでする意味はない。もし遠近法を取り入れるのであれば、現実の証である陰影のない場面で飛び道具的に使うべきであろう。いずれそんな場面にも遭遇するだろう。 どうせ世界を描くなら一斉に、と考えてしまうのだが、新版画の川瀬巴水は自分の都合で影を描いたり描かなかったりしている。人間と風景でははっきり分け矛盾を避けている。同一画面でなければ良いと臨機応変。私も学んだ。私の場合、写真のために写真を、人形のために人形からは学ばないことに決めている。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨晩は結局撮影までにいたらず。午後、作品を預けている倉庫に鴎外と乱歩を取りに行くついでに、作品としてではない、人形の様子が判る写真を一通り撮影する予定であったが、急な雑事でかなわず。なかなか思うように運ばないものである。あげくに雑事について考えていると下痢になってしまう始末で実に情けない。 私の場合、制作活動が雑事に対する逃避行動となっており、逃避すればする程作品は良くなって行く。しかしそれは一時的な鎮痛効果しかなく、いずれ痛み出すことは判っているのだが、我に還らぬうちに鎮痛剤を打ち続ける毎日、ということになる。それが自動的に制作に励んでいるように見えるという寸法である。 それでも私の場合、タコに絡まれた老人や、幽霊やヒトダマという、雑事を忘れるにはうってつけで、鎮痛効果抜群な物を相手にできるが、実利的な仕事をされている方々は一体どう対処しているのであろうか。5月12日からの銀座青木画廊に来ていただいて、 嗚呼、観る側で良かった。とシミジミしていただくのも一興かと思うのだがどうだろう。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




結局草鞋は履かせないまま着彩終了。北斎3カット目の構想はすでにあるが、5月の個展に北斎は2カットで充分だろう。次はまずは鴎外といきたいところである。鴎外の軍医総監姿でカラーは手漉き和紙に合いそうな気がして選んだ。背景の空は青空に白い雲。礼服の濃紺に合うのではないか。多分これは動かせない。本当はああだこうだ、スケッチでもしながらアイデを練りたいのは山々なのだが、最初に浮んだ物で決まってしまうことが多いので描かないことにしている。もともと描かなかったところ、宮沢賢治の時、要素が多く画を優先して縮尺はでたらめなので、何気なく描いてみたが、ニコライ堂の傾き、銀河鉄道の角度、賢治の立ち位置など、最初に描いた悪戯描きから抜けられず、結果的には満足はしたものの、描かなければ、2つ3つと、もっと別なアイデアが浮んだかもしれない、と思ってからは絶対描かないことにした。突然頭上からポンと降って来たボタモチに行く手を阻まれ、手は使っているが頭は使っていない感が常に不満であり、つい熟考の末的な見栄を張ってしまうのである。ボタモチに準じた方が結果良いことが経験上判っているので釈然としないまま、大人しく従うしかないのであった。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


ユーチューブを観ていたら、60年代の映像で、ピーター・グリーンがスライドで『シェイク・ユア・マネーメーカー』を演奏していたが、弾いてるギターはレスポールのイメージが強いグリーンが、KAYの3ピックアップを弾いており、私が持っているのと同じギターだった。「おいおい」。ホコリをはたいて急に磨き出す私。こんなことで愛情が再燃するところが、ギターの方からはさっぱり愛されない理由であろう。というより嫌われている。 立ち姿の北斎、着彩。背景の赤富士は横位置の画面だが、私の作品はほとんど縦位置である。蛸と北斎は、蛸と海女のオマージュであるから春本の見開きページと同じ縦横比にしたが。富士見の北斎も縦位置にしたい。配置する物があれば、個別に撮らなければならないが、背景の赤富士の他に配置するものがないので撮影も短時間で終わるだろう。 最近の手法はまさに切り貼りであり、背景と馴染ませる必要もない。今まで陰影を案配し、影を捏造してきたことを考えると実に自由である。かつての日本人は陰影を描くことにより生じる不自由さを知っていて、やりたい放題の自由さを選んだのではないか? 立体を作るということは陰影を作りだすことにほかならない。その自ら作り出した陰影を排除するということは、立体作品の作者としては簡単なことではない。はずだったが、一歩踏み出してみたら案外あっけなかった。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




誕生日の本日、よけいな計算をしてみたら初個展から36年も経っていた。15年くらい気絶していたのではないか、と思うのだが、2000年にHPを立ち上げた頃の身辺雑記からブログへとずっと続けているので、意識は一応あったらしい。ここまで続けていると幼い頃から今までのエピソードはほぼ披露してしまっており、同じことを何回も書いている気がする、ということさえ以前書いた記憶がある。 特に最近は間を空けず、さらに長文になってしまっているのが訪問いただく方々には申し訳ない気がしている。書き出しからそのままダラダラと書いているので、着地点がずれることはしょっちゅうなのだが、いいやこのままで。 いつもいうことであるが、自分で何故こんなことをしているのか把握できないまま、衝動に従った方が結果が良い、と制作を続けて来たが、それでは馬鹿みたいなので、最後はすべて頭で考え、計算通りだった、と見栄を張って死にたいところなのだが、こうブログで腹の中を披瀝してしまっていては、それもできない。昨年のこの日のブログを読んでみたら、西郷隆盛の“大睾丸”の話しを書いている。振り返るとただ人形作家としての神秘性を台無しにしているだけのブログである。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日T千穂にて『蛸と画狂老人北斎』の協力者達に手透き和紙にプリントした完成作品を披露していたら、隣のテーブルの女性から「わあ綺麗」と声がかかった。お目出度気な赤い蛸の色が眼に入ったのであろうか。制作している私自身が辟易とした蛸のグロテスクさが、綺麗といわれるまでに変わった。何よりである。 しかしこの作品、北斎の『蛸と海女』を知らない人からすると、何故蛸が北斎に絡まっているのか意味不明であろう。いや知っていても、だからといって何故北斎にタコを絡める必要がある、と思う人はいるだろう。もっともではあるけれども、私にそれをいってはお終いである。蛸に奪われそうになるのを阻止している画帖には、描きかけのスケッチとして『蛸と海女』を載せたが、蛸が吸い付いている肝腎な部分はフレームアウトさせた。 一作目がそんな有様だったこともあり、2作目は遠くの赤富士を眺める北斎、とごく地味にいってみたい。足下まで入れないので草鞋は後回しにして着彩に入ろう。どうも最近仕上げに時間がかかり過ぎる。早く撮影したい。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




写真に興味がなくメカ音痴の私が一眼レフを手にしたのはオートフォーカスのミノルタα7000を頂いた時であった。当時自分が乱視であることを知らず、なんてピントとは合わせにくいものだ、と思っていた。これでせめて個展のDMくらい自分で撮ってみよう、とカメラ雑誌を読み始めた。なにしろ絞りと露出の意味の違えさえ判らないという有様で、知人のカメラマンに、写真屋の写真みたいじゃないやり方、と増感現像を教わったが、私のいっているのはフラッシュを使っていない写真、という意味なのであった。無知にも程がある。 その頃の私は雑誌に掲載されている写真家の写真を見ても、誰の作品か判らなかったのは当然だが、1カットでこの人の作品だ、と判るような人がおらず、被写体の傾向でかろうじて判る人がいるくらいで、別な人が似たような被写体と撮り方されたらもう判らない。その点は絵画のようにはいかないものだな。と思ったが、現在の手法ならば1カットでも善し悪しはともかく、私の作品にしか見えないだろう。実写に間違われる心配もない。画材はなんですか?といわれるのはしかたがない。 昨年の今頃、「もし私に第3段階なるものがあるとしたら、そろそろ頃合ということになろう。」などと根拠のない適当なことを書いている。その二ヶ月後に作風が一変することになるとは。お釈迦様でも、という奴である。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 href="http://fukagawa-web.com/new-magazine/">『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日触れたイラストレーションWEBで、日本では影を描かなかった件で『必ずあるものなのに、別に絵にしようと思わなかったんでしょうかね。不思議ですよね。』という問いに南伸坊さんが『思わなかったんでしょうね。なんだろ、汚れを描かなかった、みたいな感じ。本質的なものじゃないと思ってたんじゃないかな。』 『タコと画狂老人北斎』で身体部分のモデルを担当してもらった酔っぱらいの爺さんは、昨晩も床屋へ行って妙な茶色に染めた髪で深夜の街へ消えていった。酒場の女性等に、私が完成時に送った画像を見せ回っているに違いなく、それを見越してどうせならシミや老人斑だらけにしてやる、と書いた覚えがある。爺さんとは関係なく、長命だった北斎ということでやってみたのだが、どうもそんなリアリズムが画に合わない。そう思ってみたら、本質的なものじゃないせいなのか、日本では、シワこそ描いても、シミや老人斑まで描いている作品は、あるかもしれないが思い浮ばない。160センチの身長を180センチの北斎に見立てて引き延ばした画像を、これは自分だと見せ回っていると思うと少々ムカつくが、もともと女性と話すネタがないので間が保たず、酔っぱらってからは、ただ綺麗だファンだ、を何時間でもくり返す爺さんだから、まあ放っておこう。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日イラストレーションwebの第5回その① という連続対談 見る人が「リアル」だと感じるのは形よりも質感?を読んだ。まさに私がここ最近気になっていたことが書かれている。 英一蝶が川面に映る影を描いたのが日本人初の「絵の中の影」らしい、とある。以前書いたが、小学2、3年で、遠足の絵を描いていて、水面に映るボートの影を描いたら、「なんでこんな物描いた?」担任と、隣のクラスの担任となにやら揉めた。『浮世絵の時はパースを狂わせたり、大げさに描いて面白がらせたりしてるのに、洋風の描き方にする時は抑えちゃってますよね。』これはまさに私がつげ義春の『ゲンセンカン主人』を制作した時、悩んだことで、陰影がある、ということはすなわち現実、つまり、現実と異なる日本的遠近法との矛盾が生じてしまう。結果遠近感を変えながらグループ展の出品作を2回も差し替えることになった。次回の個展では日本的遠近法を捨てた4カット目を出品する。 『石膏デッサンは、要するに明治時代「本場」でそう習っちゃったからそのまま続いてんだよ。』あんなつまらない物はないので私は数えるほどしか描いたことがない。 今書いていていて思ったが、ボートの影の時、かばってくれたのは学校を代わる際、私に偉人伝をくれた田中先生であった。ということは3年生の時である。2年の時の担任は交通安全ポスターのコンクールに、私の作品だけ出すの忘れたといった教師である。小学校時代は見て見ぬフリをされ続けた。小学生に面と向かって「子供の絵じゃない」ってなんだよ。あの頃すでに、私は独学ものとして自分の道を行くことが決まっていたと思う。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


K本の女将のページができたら俺にも見せろなんて友人もいるが、私がブログでああいったこういってた、と御注進する阿呆がいるようで、某教団ではないが、旧教祖の写真を未だに崇めてる、なんてクレームを避けるため何か策を弄しようという訳である。本日くらいから、ようやく撮りためた真寿美さんの笑顔を見られるようになった。その前年に亡くなった斉藤さんと話しているカットを見ると「ますみちゃん、ちょっとこっち来るの早いよ」。ほぼ坂上二郎と同じ声でいっているのが聴こえて来る。
それはそうと以上の件で予定より遅れてしまったが、北斎も仕上げを朝までやり、今日は12過ぎに母からの電話で起された。歳とともにいくら明るくなってから寝ようと、12時前には必ず目が覚めるようになっていたからもう何年ぶりであろう。後は草履と杖を作って細かい修整をすれば着彩に入れるだろう。北斎の赤富士あたりを背景に立たせる予定である。被写体に陰影がないので、そんな平面的な背景、日本画のように背景なしでもスーパーのチラシのようにはならない。しかし今後、あまり愛想のないことではつまらない。多少の調子は欲しい。そこで思い出したのが、ジャズシリーズの為に、ベニヤに石膏で壁や床、あるいは石畳まで作ったのが両面リバーシブルで何枚もある。あれを使って独自の下地を作るのもいいかもしれない。 タコと北斎で私が作ったのは北斎の頭とフンドシだけで、後は本物のタコと本物の酔っぱらいを使った。イメージのためにはどんな手でも使う私であった。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »