明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真と絵画の関係については様々語られて来た。それに観する本を見つけたので入手してみようか。 90年代、個展のDMくらいは自分で撮れれば、と考えていた頃、野島康三のピクトリアリズム作品、絵画主義などと称された絵の具を使う手法に一目惚れし、大正時代を中心とした技法書を買い漁り、本業を放って置いてオイルプリント再現に明け暮れた時期がある。発表するつもりもなく、ただやって見たかった。なので画が出た時点で一旦止めたくらいである。 絵描きが失業するといわれた写真技術が登場し、その記録性からより芸術性を、となった時、手本にしたのが絵画だった。しかし時代も変わり、野島康三も写真の新しい潮流に飲み込まれ、和装から洋装へ、家でダンスに興じるようになる。私には以降の作品にはそそられる物はない。またドラマで葛飾北斎が西洋画を見て〝見たまんま描いていやがる”といっていたにも関わらず、西洋的遠近、陰影法を取り入れていく。これもまた以降の作品は中途半端に終わったように思える。 この本も、新技術たる写真を日本人が、また絵師がどう迎え入れていったか、という歴史が書かれているのだろう。写真に浮世絵、東洋画を取り入れようという私とは向きが逆である。いや逆なのは私の方であろうけれど。 もっとも私がこの件により学んだ一番大きな事は、周囲に止められ、自分でも何でこんな事を、と罪悪感に苛まられながら止められなかったが、それが古典技法花盛りの時代になり、私はというと古典技法は役目を終え、写真で寒山拾得を、なんて事になっている。頭で理解出来なくてもやりたい方を選べ、つまり考えるな感じろ、を得たことである。以来そうしている。



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昨日のBSの曾我蕭白の再放送を観て、改めて思った。男の場合は何をどうしても宿命的にユーモラスな所が滲み出る。男ばかり作って来て、その点はかなり意識して来た。それ抜きには描けない、とさえ思っている。例え生涯ニコリともしないで死んでいった人物だとしてもである。三島由紀夫へのオマージュ展男の死でさえ、その点を意識していた。三島自身はというと、そのユーモアは一線を超えているところがあった。 私は〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”とやり過ぎる、過剰な人物が好きだし、やり過ぎれば、そこに何某かのユーモアを生じる。最後に襖絵として再現された蕭白の龍図も、実際見れば迫力に圧倒されるだろうが、大き過ぎて可笑しいし、過ぎた挙句に、豪快さと逆な性格さえ感じるくらいである。番組中、蝦蟇鉄拐仙人も紹介された。私も連中の鼻毛伸ばそうかな、と。 番組中唯一ユーモアを爪の先程も感じなかったのが子宮を口に咥えている、という幽霊を描いた女性画家で、描く物とそぐわない入念な化粧にほんの僅か漂っていたけれど。

 



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一日  


蝦蟇仙人の仕上げを終えたが、どうもやる気が起きない。間違いなく無呼吸用のCPAPをしなかったからである。鼻にはめるプラスチックが割れてしまい、ちゃんと装着出来なかった。眠気もそうだが、やる気が起きない、というのがただ寝不足とは違う。しばらく全部作るか、三人の仙人を今回止めるか、はっきりしなかった。放って置いた作りかけが、思ったより作ってあったので、やることにした。それも後、鉄拐仙人と豊干仙人だけとなった。(四睡図は残るが)豊干はおおよそ出来ている。 そんな訳で今日はぐうたらすることにした。 何度も感心しているが、自分で考えた手法は、それを踏まえて考えた訳ではないのに、自分の性格、制作法その他経済状態などまで、自分の都合に良く出来ている。とはいうものの大前提として、先ずは被写体を作らなければならない。一年以上被写体の制作ばかりで、そのくらいのメリットあっても良い。未だに一カットも撮影に及んでいない。 BSプレミアム曾我蕭白の再放送を見る。恐怖漫画家の日野日出志が自分でも描くバランスの欠いた顔を描く困難さについて語っていた。そういえば私の寒山拾得は、うっかり踏み潰し、それを期に完成に向かった。蕭白作品で最も好きなのは獅子図と龍図である。



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寒山拾得がスムーズに出来ていたなら作らなかったであろう三人の仙人だが、結局全て作ることにした。カエルじみた蝦蟇仙人の顔を見ていたら、作って撮影したくなってきた。あまりに妙な顔である。頭に巨大な三本脚のガマガエルを頭に載せてるし。なんでこんなに大きくしたのか、頭に乗せたのか。前年まで長年写真見ながら実在した人を作って来た反動が、こんなところにも出ていたのかもしれない。一つには、有名な絵師がオリジナルだと思っていたら、大体写したり参考にした前例作品がほとんどに在り、そのことにもウンザリし始めていた。せっかく無責任?に創作出来るモチーフである。 開始前は歴史ある禅画のモチーフ、人形作って写真作品にする、という〝奇手”で充分。大人しく末席に、と考えていたが、末席に大人しく座るには、独学我流のならず者の出自がそうはさせず。達磨大師が、ここに新たな大師像を創作する面白さも見出せず、僅かにマックス・ローチのレコードジャケットのように〝だるまさんが転んだ”調に振り向かせたに留まった。全ての始まり、禅宗の開祖となれば、それも良いだろうと。



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今月中に仙人三人を含み11体全てを着彩、完成に持って行く。その後は、新たに制作するのは寒山と拾得、虎と豊干が寄り添い眠る『四睡図』のみとする。いくら作りたくても背中の火焔をかたわらに下ろして滝に打たれる不動明王など作ってはならない。今月中にそれが果たされたなら、5月以降は『四睡図』以外は撮影のみとし、亭主と半裸のカミさん或いは子供が夕顔棚の下でゴザを敷いてくつろぐ『夕顔棚納涼図』などに手を染めてはならない。  実景の撮影に南房総へも行きたい。『貝の穴に河童の居る事』でも使った。今回は海は必要ないけれど。陰影の出にくい梅雨時が都合が良い。 石塚式ピクトリアリズムの良い所は、陰影が出ないよう撮影した物を切り抜いて配するだけ、といえばだけなので、あっちこっちと、順次撮影しては、貼り付けて行けば良い。昨日も書いたが、被写体の出来が露わになる手法なので、写真を始める前のただ人形作っていた頃に戻ったような心持ちがする。朝ドラ、カムカムエブリバディではないが、このモチーフ制作に入り、人生一周したかのような〝回収”具合に驚くばかりである。個展予定のふげん社は、拾得が実は普賢菩薩の化身から来ているそうである。カムカムならありそうな話だが、こんなことは、策がないから金魚を眺めていよう、なんて人間にしか起きないことを私は知っている。



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昨日の飲み会の間も気になっていたのが、ゴロフキンVS村田諒太のスーパーミドル級統一戦である。昔だったらもはやリングで表現することは何もない、と引退したカルロス・モンソンが来日したようなものであろう。それを迎え撃つ日本人が金メダリストのチャンピオンだというのだから隔世の感がある。良い試合だったようで何よりであった。 陰影のない手法は、照明やレンズの味の助けを借りることが出来ず、被写体の出来が成否を左右する、そういう意味でも、私の原点である人形制作が問われることになる。そのモチーフの多くが、これも原点の架空の人物、というのが良く出来た話である。これは考えていたら、少なくとも私の場合はこういうことは起きない。行き当たりばったりだからこそこうなる。ブルース・リーの「考えるな感じろ」その通りだ、それは前から知っている。下手な頭を使わぬよう金魚を眺めて待った。そして月を指差す寒山を作っていて、ブログを見ていた友人から考えるな感じろの続き「月を指差すようなものだ、月を観ずに指を見てはならない」を教わった。知ってたことにしとけば良かった。 カエル顔している必要はなかった蝦蟇仙人を見ていたら。やはり完成させたくなった。首しか出来ていない鉄拐仙人と何故かペアで描かれることが多い。一画面に二人使った『蝦蟇鉄拐図』にする。

 



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鯉という物は死んだらすぐに臭みが出るので、鱗すら取らないほど処理を急ぐ。もっともその鱗は柔らかく、鯉コクなどそのまま煮込んで柔らかく食べられるという。以前撮影用に使ったイシナギのように、血抜きまでしてもらってという訳には行かず生きたまま取り寄せることになりそうである。円谷英二で瀬戸内のタコを取り寄せた時も、これが新鮮なタコの匂いか、と思っていたが、様々なポーズを付けて撮っていたら、恨めしげな目に臭みにうんざり茹でて冷凍。しばらく食べられなかった。それが鯉となると、撮影も急ぐ必要がありそうである。まあポーズといっても上に乗る琴高仙人を作った時点で決まっている。という訳で、つい鯉について調べてしまうが、仙人まで手を伸ばすかどうか、考えどころである。 毎年三人で木場公園で花見をやっていたが、シートに座って、とはいかないという。私は腰も痛いし、桜の花など最初の10分で、後は樹上でたなびくティシュペーパーを見上げるが如しなので、パスして先に一時半にサイゼリアへ。旧河本常連メンバーと総勢5人。昨日から鼻息が荒く飲む気満々だったSがあんの上泥酔。木場駅でこけ出血。救急車で搬送、なんとか帰ったようだが、パットン将軍の異名を持つ歳下のカミさんに食事抜きなどの仕打ちを受けるにちがいない。



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昨日の陰影有、無の二刀流を試みたらどうか?というのは、おそらく、意外にも人形の仕上げがスムースに進んだ、その心の隙間に入り込んだ事であるに違いない。しつこいようだが、立体を作る、ということは陰影を作ることに他ならず、それを自らの手で削除するというのは一種矛盾に満ちた行為ともいえ、中々踏ん切りが付かなかった。一作目の三遊亭圓朝は人魂浮かぶ背景にこちらを見ている圓朝で、グズグズと随分待たせたな、という顔をしてこっちを見ている。と当時思った。フェイスブックにより、この石塚式ビクトリアリズムの第一作目の完成は、5年前の4月9日だということも判った。 せっかく作った陰影を、と身をよじるのは私ならではの葛藤であろう。作った所は見せたいというのは人情である。それも陰影有無の二種作れば解決となる。 もっとも、石膏削って中国の山々を、なんていうのは陰影が無いからこその話であるし、例えば鯉に乗った仙人に、実際存在するかのように照明当てて、なんて、まことを写すという写真に抗ってきた私が今に至りするにしては中途半端であろう。



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昨日、簡単にスマホで『慧可断臂図』の未塗装の慧可を陰影を強調し撮ってフェイスブックとインスタに載せたのだが、己の腕を切り落とし、それを捧げ持つ慧可を下から見上げるように撮った。その肩越しに、慧可の覚悟の気配に振り向いた達磨大師、という構図がが浮かんだ。一眼レフ的、写真的構図といえ、雪舟を含め、絵師達の辞書には載っていない構図である。陰影の無い手法では、日本画的な平面的構図しか受け付けない。しかしかつて私はジャズ、ブルースシリーズでこんなことばかりしていた。そもそも達磨の振り向いたポーズは、マックス・ローチの『WE INSIST!』のジャケットのパクリであり『貝の穴に河童の居る事』の表紙の河童にも流用している。私は寝ている子を起こしてしまったのかもしれない。 二刀流も耳慣れた昨今、モチーフによっては陰影有り無し両方やってみるのはどうか? 石塚式ピクトリアリズムを私の大リーグボール3号などと言っていたが、子供の頃星飛雄馬は、一人に撃たれたくらいで他の打者には各ボールを投げ分ければ良いのに、と思っていたのを思い出す。ところで『慧可断臂図』は雪深い場面である。それじゃ陰影が出ないじゃないか、というのが本日のオチだろうか。



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『虎渓三笑図』は修業のため、山を降りないと決めていたのに、訪れた友人を送って行く道すがら話に夢中になり、境界を超えてしまったことに気付き笑っている三人の仏教、儒教、道教を象徴する人物により〝三教一致”の禅の精神を表している。様々な絵師が趣向を変えて描いている。同じく『三酸図』というのもある。酢の入った樽を囲み三人が酸っぱがっている。人物は違えど、これも同様三教一致を示している。四十年の間に笑顔の人物など片手で間に合うくらいしか作ったことしかなかったことと、被写体として中国風石橋の場所を知っていたこと、山深い中国の風景を創作出来るのでこちらを選んだ。しかしこの中国の風景に後々首を絞められることになりはしないか?という気がしないでもないが、後悔は後でするものだから今から思い悩むのは止めておこう。 『慧可断臂図』の慧可の仕上げ。達磨大師に弟子入りを志願するが相手にされず、己の左腕(臂とは肘から下のこと)を切り落とし、覚悟を示した。



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作品が増えて来て仕上げ着彩まで進むと、積み上げておく訳にも行かず、棚を導入せざるを得ず、また今月末から数体展示をする予定もあり、多少片付ける。私には部屋を片付けようと、頭の隅でチラッと考えただけで、その考えを蹴散らすように創作意欲が溢れ出てくる。『虎渓三笑図』の3人、慧遠法師、陶淵明、陸修静が思っていたより作ってあり、案外スムースに仕上げが終わった。『慧可断臂図』の慧可禅師も明日には終わりそうである。嬉しい誤算で、この調子なら三人の仙人まで手を伸ばせるか?まだ一カットも撮影していない、油断は禁物である。とにかく私が気をつけなければならないのは『虎渓三笑図』の三人の場合はおしゃべりだが、一つのことに夢中になり、決まり事を破ってしまうことである。  神楽坂の牛込城跡にある寺の住職の従兄弟と話していて、敷地内に由井正雪が住んでいたことがある、と初めて聞いて驚く。



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一日  


昔から作った人物同士の共演を考えてはいた。たとえば泉鏡花、三遊亭圓朝、柳田國男で怪談会とか。行燈や燭台もある。ただ作った設定年齢と合うのか、とか、どういう機会に発表するのか、と考えているうちに面倒になる。もう一つの理由は、頭に浮かんだ最初のイメージを手掛けてしまうせいもある。合成をやっていない頃に手持ちで、他の人にも持ってもらって撮ったことはある。拙著泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』拙著にて河童の三郎と火ともしの翁に扮した柳田國男は面白かった。柳田の影響で書いたであろう盟友鏡花も、好色でおっちょこちょいとして描き柳田は、〝河童を馬鹿にしてござる”と言っている。なので馬鹿な三郎をあくまで優しく対する翁役はちょうど良かった。すでに柳田が手元にあったので、思い付いた時、思わず立ち上がり、そのまま飲みに行った。今回は『虎渓三笑』と『慧可断臂好き』で最初から共演前提の作品を試みる。 本日花見の予定通りであったが、あいにくな天候、最初から店で。結果七時間ほど飲むが、普通に飲めた。つまり普段は飲む気が起きないが、飲めば飲めることが判り安心した。



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予定  


当初、寒山拾得のバリエーションだけでは今一つだとは思っていたが、寒山拾得が難航している間に、随分手を広げてしまった。一休宗純は、竹竿に骸骨、骸骨を枕の酔卧図の2種、臨済義玄はほぼ完成。作り初めの頃、すみの方にそっと展示を、と考えていたが、事情が判ってくるにつれ、これは失礼しました、喝!が私に返って来ないよう、ピッタリの古い厨子まで入手したので展示もしたい。布袋尊撮影用に後ろを作っていないが、後ろを作って展示した方が良いとの意見も。『虎渓三笑図』は登場人物3人も作った、となると2人登場の「慧可断臂図』も、三笑図に劣らず面白いモチーフである。達磨大師の首があるのだから、正面向きの達磨大師を考えないでもなかったが、特別なアイデアがある訳でもないので止めておく。あとは寒山拾得、虎と豊干の『四睡図』。ここまでを目標にする。 三本脚のガマガエル如きに時間を費やしてしまったが、スケジュールを考えると、蝦蟇仙人、琴高仙人、鉄拐仙人は後回しにして様子を見たい。琴高仙人に使う鯉は冬が旬というから、その点からも考えどころである。まったく、スケジュールを立てる、というのは私には厄介である。そんな私が開くのも嫌な書物といえば、なんといってもJRの時刻表である。



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それにしても昼間見ると我が寒山拾得、酷い顔である。特に拾得はもじゃもじゃ頭でもあり、新東宝の大友純を思い出した。幼稚園に通う途中、選挙カーに乗り手を振る大友純を見たが、大人達がみんな固まっていた。満面の笑みがまた怖く、選挙の応援になったのかは怪しい。実際は大変良い人だったと聞く。そうでなければ困る。 寒山と拾得は聖俗併せ持つ精霊のような存在であろう。痩せていると書かれているのに肥満体であったり無邪気な唐子調が多いのは、絵師たちによる聖性の表現かもしれない。そう思えば納得がいく。 そこで不気味な寒山拾得に聖性を与える奇手を思い付いた。思い付くのは奇手ばかりという気がしないでもないけれど。そのためには必要な物があり、それが手に入れば、という話である。たった一カットのために、と思うとどうかと思うが、人間思い付いた物を作るように出来ているというから仕方がない。 臨済義玄はあと法衣に色を塗るだけである。



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一日  


月一のクリニック。ここニ、三ヶ月、酒を飲む気が失せたことを聞いてみた。丁度薬が変わったタイミングだと思っていたが、「そういうこともあるかもしれない。」と曖昧である。まあ、飲みたいのに飲めない、とは違うので、むしろ良いのだが。せっかく二日酔いをしない肝臓を持ってあるのに、と思わなくもない。こんな効き目があるならアル中で苦しんでいる知人に勧めたいくらいだが、先生もその程度だし、検索してもそんな効能は出てこない。元々心臓の薬だったバイアグラのようなことが、なんて空想していたが。 臨済義玄仕上げに入る。これは古い厨子まで入手済みなので展示する予定である。しかし本来、臨済宗といえば栄西を作るべきだったかもしれないが、大元の義玄を作ってしまった。しかし私としてはたまたま蛇足描いた一休宗純と臨済義玄だが、蛇足の面識のある一休と違い、義玄は後頭部から前頭部にかけて盛り上がっている人間などいる訳がなく、明らかに手本があるはずなのだが見つからない。



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