人像、人形、ヒトガタの私の考える究極は頂相、あるいは頂相彫刻だと考えるに至った。寺の開山を刻んだ作品には、リアルといっても、生き人形にありがちな、木を見て森を見ず的な物はない。そこまで判っていて、千年数百年、歴史あるモチーフに対し、独学我流、無手勝流、ついでに坐禅一つしたことない私に何が出来るのか。いやだからこそ、今時、七百数十年前の坊様作って陶然としているのである。 小学校入学で図書室に出会い、伝記、偉人伝に夢中になり、始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず騒ぎを起こし、百科事典の頂相彫刻を飽きず眺めた鍵っ子の私が、ここに至り〝やっと会えたね“なんて安っぽい恋愛ドラマのようなことを感じている。 高所を好まない私にはゾッとする恐ろしい写真がある。一人宇宙空間に浮かぶ宇宙飛行士である。煙と同様高い所に登りたがる、こんな変わり者を見るたび、こうしないと見えない景色、得られない快楽があるのだろう、とは思うのである。