例えば、関係詞や仮定法を教え、生徒はそれに対して「わかりました」とうなづきます。しかし後日、それらについて質問すると答えられない・・・。そんな場面に何回も出くわし、指導者として虚しさを感じることも多々あります。
その都度、身に沁みる言葉が『ドラゴン桜』で発した水野の一言です。
「関係詞はまず何を確認する?」に対して「まず、先行詞が・・・」と答えたり、「仮定法って何だ?」に対して「『もし・・・』で・・・」などと答えようなら、私は一喝する勢いで声をあげます。なぜなら、そんな風には教えていないのですから(笑)。
教えたことを口述できれば、物事の本質をとらえた上で、論理的に理解できている証拠です。生徒のわかったフリを暴く。指導者の工夫と技量が試されるのだと思います。
その都度、身に沁みる言葉が『ドラゴン桜』で発した水野の一言です。
「教えられる側ってわかったフリする」だからこそ、指導者側は生徒の言葉をうのみにせず、しつこいほど繰り返し確認する。
『ドラゴン桜』第6巻(52限目)より
「関係詞はまず何を確認する?」に対して「まず、先行詞が・・・」と答えたり、「仮定法って何だ?」に対して「『もし・・・』で・・・」などと答えようなら、私は一喝する勢いで声をあげます。なぜなら、そんな風には教えていないのですから(笑)。
教えたことを口述できれば、物事の本質をとらえた上で、論理的に理解できている証拠です。生徒のわかったフリを暴く。指導者の工夫と技量が試されるのだと思います。