今日3月7日は愛犬チビの命日です。
我が愛犬の柴犬チビは、私が小学校6年生の時から飼い始めました。チビが我が家に来て数週間、私は虫垂炎になり、しかも盲腸が破裂してしまい腹膜炎を併発。3時間に及ぶ緊急手術を経験し、「あと一時間遅れていたら命に関わっていた」と医者に言わしめるほど、生死の境を彷徨いました。術後は一ヶ月の入院生活を余儀なくされましたが、面会時間に病院の駐車場でその愛くるしい顔で私を励ましてくれたのはチビでした。
その後、中学・高校・浪人・大学という多感な学生時代を共に過ごしました。大学に通うため東京で離れて暮らしていても、数ヶ月に一度帰省した時も相変わらずな陽気さで、チビは私を迎えてくれました。
そして、長い学生生活が終わりに近づいた1996年3月、チビはフィラリアによる心臓病と老衰のため、実家のリビングで最期を迎えようとしていました。チビの体調が悪いため、私はずっとリビングで寝食を共にしていましたが、4月から勤務することになっていた銀行の支店に顔見せに向かうために私はスーツに着替え、リビングの鏡の前でネクタイを締めていました。私のスーツ姿を初めて目にしたチビは、誇らしげな、そして、安堵感に満ちた表情をしていました。「お兄ちゃん、大人になったな」って・・・。
数時間後、銀行から私が帰宅すると、彼はリビングの真ん中で固く冷たくなっていました。
チビは確かに何かを感じていて、ずっと一緒に時を重ねてきた主人が子供から大人へ成長し、新たな世界へ羽ばたくことを確信できたので、安心して天国へ旅立っていったような気がしてなりません。この写真は我が家のリビングに飾られているチビです。あれから23年経った今も、ずっと私の心の中で生き続け、私を見守っていてくれています。
我が愛犬の柴犬チビは、私が小学校6年生の時から飼い始めました。チビが我が家に来て数週間、私は虫垂炎になり、しかも盲腸が破裂してしまい腹膜炎を併発。3時間に及ぶ緊急手術を経験し、「あと一時間遅れていたら命に関わっていた」と医者に言わしめるほど、生死の境を彷徨いました。術後は一ヶ月の入院生活を余儀なくされましたが、面会時間に病院の駐車場でその愛くるしい顔で私を励ましてくれたのはチビでした。
その後、中学・高校・浪人・大学という多感な学生時代を共に過ごしました。大学に通うため東京で離れて暮らしていても、数ヶ月に一度帰省した時も相変わらずな陽気さで、チビは私を迎えてくれました。
そして、長い学生生活が終わりに近づいた1996年3月、チビはフィラリアによる心臓病と老衰のため、実家のリビングで最期を迎えようとしていました。チビの体調が悪いため、私はずっとリビングで寝食を共にしていましたが、4月から勤務することになっていた銀行の支店に顔見せに向かうために私はスーツに着替え、リビングの鏡の前でネクタイを締めていました。私のスーツ姿を初めて目にしたチビは、誇らしげな、そして、安堵感に満ちた表情をしていました。「お兄ちゃん、大人になったな」って・・・。
数時間後、銀行から私が帰宅すると、彼はリビングの真ん中で固く冷たくなっていました。
チビは確かに何かを感じていて、ずっと一緒に時を重ねてきた主人が子供から大人へ成長し、新たな世界へ羽ばたくことを確信できたので、安心して天国へ旅立っていったような気がしてなりません。この写真は我が家のリビングに飾られているチビです。あれから23年経った今も、ずっと私の心の中で生き続け、私を見守っていてくれています。