「身体」、体そのものを表す言葉ですが、これに障害者ということばをそえると
身体障害者となり、体に何がしかのハンディキャップを負った人という事でして、
これが差別用語として使われる事などあってはならないわけです。
実は知り合いの教師から「最近こんな事があった」と話を聞く機会がありました。
多くを考えさせてくれる話なので紹介したいと思います。
その話ですが、内容を聞くとなんともお粗末な話でして・・・
まず簡単な流れから説明しますが、A君(中学2年生)が、前から来たB君(1年
生)に突然「身体!」と繰り返し言葉を浴びせかけ、その直後相手の顔を殴る事件
(喧嘩)が発生。
一方的にやられていたB君、当然のことながら抵抗しますから足蹴りを放ったとこ
ろA君の股間に命中しまして。
そのままうずくまってしまった訳ですが、騒ぎを聞きつけて現れた先生達は即座に
病院へ連れて行き、家庭にも連絡。
病院に現れたA君の母親に現段階で分かっている事を説明し、その後母親が付き添
う事を確認した上で学校に戻ったそうです。
さてもう一方のB君、生徒指導室に呼ばれていきさつを報告。
さてここまではいくらでもある子供同士の喧嘩?というべきなのかというとこれが
難しい。
このA君実はこれまで何度もこの「身体」という言葉を自分の感情の高まりに乗せ
て差別用語として使う事があったそうです。
この出来事の数週間前にもほかの生徒といさかいを起こし、そのときにも相手を罵
倒するためにこの言葉を多用。
その場でたまたま通りかかった先生にきつくお灸をすえられたわけです。
このA君、割とおとなしい子で、しかしながら感情の抑制がうまくできないところ
があり、そうしたところを先生方はいつも心配していたそうです。
さて話は病院からのつづき、夜になり学校で一騒動、というのは事体を知った父親
が学校に現れ、損害賠償を出せといいだした。
蹴りを入れた相手の生徒とその親、さらには先生方を散々罵倒し、事のいきさつを
説明する先生に悪態を付き、放った言葉が
「うちの子がそんな事をするはずがない」。
相手の生徒と親を呼べというので、翌日投稿してきたA君から先生方が詳しく話を
聞き(B君は終わっていますから)、相手のB君親御さんにも来てもらうという
ことでとりあえず収めたそうです。
翌日A君から先生方が話を聞くと、本人はしっかりと事実を認識しており、B君と
の話とつじつまがあうので、それ以上は追求をしなかったそうです。
再び学校にあらわれたA君両親、やおら相手のB君及び母親をなじりだし、「将来
子供ができなくなったらどうするんだ?賠償しろ!」とほとんど脅し状態でいいだ
すしまつ。
先生が何とか落ち着かせ、A君、B君双方からの話の整合性を説明し、事の始まり
はA君がなんら関係のないB君に罵声をあびせかけ、最初に手をあげたことを説明
するにいたり。
再びA君の親が激高、そのとき出た言葉が
「先生方がよってたかって無理に言わせたんだろう」といい始め、誰か見ていたは
ずだと騒ぎ出し証人を連れてこいとまで言い出した。
喧嘩のあった時間は丁度休み時間、廊下に女子含め多数の生徒がいてこの一部始終
をみていたわけですが。
学校としてはそれらの生徒の話も全て聞いてはいるが、こうした激高状態の親に生
徒の情報など伝えられるはずもありませんから、とりあえず後日ということで納め
ようとしたところ、結局この日はA君の親がB君および親、学校の先生をさんざ
ん罵倒して帰宅。
当日何をおもったか、A君の同じクラスの家庭に片っ端から電話をいれて、生徒を
電話口によびだしては事実確認?を散々行い、しかしながら当然に知りうる子達
の話に矛盾点などあるはずもないわけでして・・・
さてそれから数日間は、先生がA君の家に電話をしても拉致の明かない状態のまま
だったわけですが、夜に突然担任の家に電話があり、その内容は「あした教育委員
会にいって訴えてやる」という内容。
その電話でも散々自分の言いたい事をいったわけですが。
このときの話の中に、「なんで先生は家の息子の悪い面しか見ないんだ?}と問い
詰めることがあり、
これに関して起きた事体の把握を、親としてしっかり認識してもらわない事にはど
うする事も出来ない旨をのべたところ。
「うちの子は褒めて育てているんだから、学校もそうしてくれなきゃ困るんだ」と
いい放ち、さらには被害者はうちの子で蹴飛ばした相手の家を訴えてやると言い放
って電話を切る始末。
結局、この生徒A君の親は先に手を出した自分の子供の比は一切認めず、定期的に
相手のB君宅に電話して損害賠償しろと訴えたままあいまい状態で生徒は卒業した
そうです。
どうやっても事体が進展しない親に対して、学校側はA君にしっかりと話を行い、
何がいけないのか含めてきちんと指導、最終的にB君にA君が自発的に謝罪して生
徒同士の問題は一応解決したそうですが、
この親のあり方を皆さんはどう思われるでしょうか?
実はこのA君の両親、人を指導する立場にあるそうで、残念ながら情報守秘のため
にそれ以上の話してはくれませんでした。
私自身はこの親の姿がこのA君の姿として現れている事は間違いないとは思うわけ
ですが、何が問題なのかと洗い出してみるなら(皆さんも当たり前のようにお分か
りですよね)、
まず、A君
「身体」とい、本来差別用語ではない言葉を相手を下げすむための言葉として使用
し、廊下を前から歩いてきた何の関係もない年下の子にいきなり罵声をあびせかけ
て殴り病院で親に事にしだいをきちんと伝えていない(もしかすると親が聞いてい
なかったのかもしれませんが)
そしてその親、
自分の子の比を一切認めようとしない。
自分の価値観に少しでも触れられそうになると、すぐに激高する。
その激高は基本的に誰彼かまわずで、特に立場の弱い?先生に向かって放たれる。
善悪の判断が感情の波の前に押し倒されてしまう状態が多発し、その不安からか相
手を脅す為の言葉を連発する。
一家庭の教育方法を学校という枠に無理やりあてはめ、自分の子だけ特別な指導を
しろという。
褒めて育てたのだから、今回の件についても褒めろという(どうやって?)。
証人探しのために、電話をかけまくったわけですが、そうした行動は不快を呼び
翌日の学校で生徒同士の話題になり、当然に親の姿勢はこのA君と重ねられること
から、発生するであろうさまざまな事をがあるわけですが、
そんなことすら考慮できずに自分の感情及だけを最優先として行動をする。
両者を比較すると、A君とその親がもつ価値観と考え方の共通点が容易に見出せる
わけです。
ちなみにこの話を聞き終わった段階で、このA君の学校生活をきくと、やはりこの
親の姿そのままだそうです。
褒めて育てられた事により備わった根拠のない自信と高いプライド、それを崩され
ることを恐れることから相手を見下すことが多々起きて、それがほかの生徒といさ
かいを起こす原因となる。
明らかに自分より下だったり、弱者と認識できる相手を標的として言葉は発せられ。
それにより周りの友達を怒らせて、疎外される原因をつくりだす。
じぶんで巻いた種で生じた疎外感がこの生徒を抑圧し、まじめでいい子を演じさせ、
結果として本心とはまったく別の姿を演じねばならない状態を作り出してしまう。
まだこの子は素直な面を持っているから良いのですが、それがそのまま成長すれば
将来何が起きるかは容易に分かるというもです。
「俺はわるくないんだ!」とです、
最後に、この子が親を越える人間に成長してくれることを心から願います、がんばれ!
身体障害者となり、体に何がしかのハンディキャップを負った人という事でして、
これが差別用語として使われる事などあってはならないわけです。
実は知り合いの教師から「最近こんな事があった」と話を聞く機会がありました。
多くを考えさせてくれる話なので紹介したいと思います。
その話ですが、内容を聞くとなんともお粗末な話でして・・・
まず簡単な流れから説明しますが、A君(中学2年生)が、前から来たB君(1年
生)に突然「身体!」と繰り返し言葉を浴びせかけ、その直後相手の顔を殴る事件
(喧嘩)が発生。
一方的にやられていたB君、当然のことながら抵抗しますから足蹴りを放ったとこ
ろA君の股間に命中しまして。
そのままうずくまってしまった訳ですが、騒ぎを聞きつけて現れた先生達は即座に
病院へ連れて行き、家庭にも連絡。
病院に現れたA君の母親に現段階で分かっている事を説明し、その後母親が付き添
う事を確認した上で学校に戻ったそうです。
さてもう一方のB君、生徒指導室に呼ばれていきさつを報告。
さてここまではいくらでもある子供同士の喧嘩?というべきなのかというとこれが
難しい。
このA君実はこれまで何度もこの「身体」という言葉を自分の感情の高まりに乗せ
て差別用語として使う事があったそうです。
この出来事の数週間前にもほかの生徒といさかいを起こし、そのときにも相手を罵
倒するためにこの言葉を多用。
その場でたまたま通りかかった先生にきつくお灸をすえられたわけです。
このA君、割とおとなしい子で、しかしながら感情の抑制がうまくできないところ
があり、そうしたところを先生方はいつも心配していたそうです。
さて話は病院からのつづき、夜になり学校で一騒動、というのは事体を知った父親
が学校に現れ、損害賠償を出せといいだした。
蹴りを入れた相手の生徒とその親、さらには先生方を散々罵倒し、事のいきさつを
説明する先生に悪態を付き、放った言葉が
「うちの子がそんな事をするはずがない」。
相手の生徒と親を呼べというので、翌日投稿してきたA君から先生方が詳しく話を
聞き(B君は終わっていますから)、相手のB君親御さんにも来てもらうという
ことでとりあえず収めたそうです。
翌日A君から先生方が話を聞くと、本人はしっかりと事実を認識しており、B君と
の話とつじつまがあうので、それ以上は追求をしなかったそうです。
再び学校にあらわれたA君両親、やおら相手のB君及び母親をなじりだし、「将来
子供ができなくなったらどうするんだ?賠償しろ!」とほとんど脅し状態でいいだ
すしまつ。
先生が何とか落ち着かせ、A君、B君双方からの話の整合性を説明し、事の始まり
はA君がなんら関係のないB君に罵声をあびせかけ、最初に手をあげたことを説明
するにいたり。
再びA君の親が激高、そのとき出た言葉が
「先生方がよってたかって無理に言わせたんだろう」といい始め、誰か見ていたは
ずだと騒ぎ出し証人を連れてこいとまで言い出した。
喧嘩のあった時間は丁度休み時間、廊下に女子含め多数の生徒がいてこの一部始終
をみていたわけですが。
学校としてはそれらの生徒の話も全て聞いてはいるが、こうした激高状態の親に生
徒の情報など伝えられるはずもありませんから、とりあえず後日ということで納め
ようとしたところ、結局この日はA君の親がB君および親、学校の先生をさんざ
ん罵倒して帰宅。
当日何をおもったか、A君の同じクラスの家庭に片っ端から電話をいれて、生徒を
電話口によびだしては事実確認?を散々行い、しかしながら当然に知りうる子達
の話に矛盾点などあるはずもないわけでして・・・
さてそれから数日間は、先生がA君の家に電話をしても拉致の明かない状態のまま
だったわけですが、夜に突然担任の家に電話があり、その内容は「あした教育委員
会にいって訴えてやる」という内容。
その電話でも散々自分の言いたい事をいったわけですが。
このときの話の中に、「なんで先生は家の息子の悪い面しか見ないんだ?}と問い
詰めることがあり、
これに関して起きた事体の把握を、親としてしっかり認識してもらわない事にはど
うする事も出来ない旨をのべたところ。
「うちの子は褒めて育てているんだから、学校もそうしてくれなきゃ困るんだ」と
いい放ち、さらには被害者はうちの子で蹴飛ばした相手の家を訴えてやると言い放
って電話を切る始末。
結局、この生徒A君の親は先に手を出した自分の子供の比は一切認めず、定期的に
相手のB君宅に電話して損害賠償しろと訴えたままあいまい状態で生徒は卒業した
そうです。
どうやっても事体が進展しない親に対して、学校側はA君にしっかりと話を行い、
何がいけないのか含めてきちんと指導、最終的にB君にA君が自発的に謝罪して生
徒同士の問題は一応解決したそうですが、
この親のあり方を皆さんはどう思われるでしょうか?
実はこのA君の両親、人を指導する立場にあるそうで、残念ながら情報守秘のため
にそれ以上の話してはくれませんでした。
私自身はこの親の姿がこのA君の姿として現れている事は間違いないとは思うわけ
ですが、何が問題なのかと洗い出してみるなら(皆さんも当たり前のようにお分か
りですよね)、
まず、A君
「身体」とい、本来差別用語ではない言葉を相手を下げすむための言葉として使用
し、廊下を前から歩いてきた何の関係もない年下の子にいきなり罵声をあびせかけ
て殴り病院で親に事にしだいをきちんと伝えていない(もしかすると親が聞いてい
なかったのかもしれませんが)
そしてその親、
自分の子の比を一切認めようとしない。
自分の価値観に少しでも触れられそうになると、すぐに激高する。
その激高は基本的に誰彼かまわずで、特に立場の弱い?先生に向かって放たれる。
善悪の判断が感情の波の前に押し倒されてしまう状態が多発し、その不安からか相
手を脅す為の言葉を連発する。
一家庭の教育方法を学校という枠に無理やりあてはめ、自分の子だけ特別な指導を
しろという。
褒めて育てたのだから、今回の件についても褒めろという(どうやって?)。
証人探しのために、電話をかけまくったわけですが、そうした行動は不快を呼び
翌日の学校で生徒同士の話題になり、当然に親の姿勢はこのA君と重ねられること
から、発生するであろうさまざまな事をがあるわけですが、
そんなことすら考慮できずに自分の感情及だけを最優先として行動をする。
両者を比較すると、A君とその親がもつ価値観と考え方の共通点が容易に見出せる
わけです。
ちなみにこの話を聞き終わった段階で、このA君の学校生活をきくと、やはりこの
親の姿そのままだそうです。
褒めて育てられた事により備わった根拠のない自信と高いプライド、それを崩され
ることを恐れることから相手を見下すことが多々起きて、それがほかの生徒といさ
かいを起こす原因となる。
明らかに自分より下だったり、弱者と認識できる相手を標的として言葉は発せられ。
それにより周りの友達を怒らせて、疎外される原因をつくりだす。
じぶんで巻いた種で生じた疎外感がこの生徒を抑圧し、まじめでいい子を演じさせ、
結果として本心とはまったく別の姿を演じねばならない状態を作り出してしまう。
まだこの子は素直な面を持っているから良いのですが、それがそのまま成長すれば
将来何が起きるかは容易に分かるというもです。
「俺はわるくないんだ!」とです、
最後に、この子が親を越える人間に成長してくれることを心から願います、がんばれ!