帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

心の力

2008年10月09日 | 研究-教育・育児
狭間でもまれていた娘ですが、とりあえず乗り越えたようです。
いじめは、する側とされる側に大きく分かれますが、間に立たされるものは非常に
不安定かつ難しい立場へと追い込まれやすく、
童話のなかにいる鳥にも動物にもそっぽ向かれたコウモリの話ではありませんが、
次の攻撃対象にされないとも限りません。
どうやって対処したのだろうと思っていたのですが、なるほどという感じでした。

その話は後でしますが、いま“高校”でどれだけ平然といじめが行われているかと
いうことをどのくらいの人が理解しているでしょうか?

一見平穏にみえる学校ですが、退学のある高校は中学とは異なり表に出さない形の
陰湿ないじめが平然と行われており、人格がほぼ固まる18歳を目前にして、尚も
まだ小学校低学年レベルの事を平然とやっているわけです。

「そんなの嘘だ!」と思われる人もいるかと思いますが、僕は別に強制してまでそ
う思ってもらおうとは考えてませんので、信じられない人は他のホームページに行
ってください。

なんでこんな状況になっているのかということですが、そこには“凄惨ないじめが
多発する原因でもありながら、日本独特の文化の持つ良さを生み出している事と関
係があるわけで、それを少し書いてみたいと思います。

日本は独特の文化から他人のもつ問題点をあまりはっきりさせてはならないという
考え方があるのは誰しも知っていることですが、そうした共通認識は閉鎖的で狭い
社会構成が強いられた過去の歴史においては社会協調のための重要な手法でもあっ
たわけで、それはまた同時に察する能力そのものを鋭く磨かせる優れた特徴として
今も伝統的に引き継がれています。

この察するという力ですが、精神的なものを著しく成長させます(成長しないと察
する力が出来ない)から、本来であれば思春期に達する年齢までには十分に育ち、
いじめる事そのものが不要になっているはずなのです。

精神的能力の成熟が早いということですが、これは思考や判断の基礎でもある我
慢、忍耐、努力の3点がその分早く備わる事可能ということであり、

これが混沌とした文化のままでなかなか前進できなかったアジアにおいて、“なぜ
にこの国だけが異常なまでに高度文化が発達していたのか?”という謎を解き明か
すヒントでもあるわけです。

江戸時代には微積分の問題を平然と解き、天体の位置を計算し、世界最高水準の測
量技術をして治安と統治に優れた世界最大の都市を作り上げ、わずか90mの落差
で43kmの水を正確にながして150Kmにわたる上水路を完全整備させた。

ここに紹介した一部の先進的偉業の礎は、このきわめて簡単な精神成長のメカニズ
ムともいえる上に構築されたものだったわけです。

精神的能力の充実=我慢・忍耐・努力の充実ですから。

人間としての基礎的人格が固まる18歳よりはるか前の13歳ころまでにそれが備
わる事で、以降の5年間を自己研鑽の時間として使える事がこの国の発展をさせて
きた源であると私は考えています。

ところが今、その精神的充実が18歳を前にしてもまだおぼつかない現在において
は、親に依存する子供思考のままで人格が固まる事となり、それがいつまでたって
も大人になれない依存型精神構造、すなわちニートや引きこもりとして600万人
を超える現実として現れています。

では誰がこうさせたのか? 

大きな原因をあげれば20年ほど前から現れた“叱らない教育、(悪しき)褒めて育
てる教育”とやらに有るわけですが、さらにその元を探るなら、テレビゲームが無
視し得ないほど影響しています。

これが外遊び通じて幼いころに構築されるべき精神成長の貴重な時間破壊してしま
った。

さらには、それでさえ少なくなった時間を習い事、塾が奪い去り、さらには友達関
係までも母親の保護本能が過干渉となって逐一介入し、経るべき経験をさせない事
が圧倒的に多くなった。

察しの能力はいじめと強い関係があることから、この基礎で得あるものを全て失え
ば当然に育つことなど有りえず、
幼児の精神構造のまま、体だけ大きくなった子供達が思春期の複雑な心にいじめを
絡ませればどんな事になるのか等、言わずとも分かるものです。

そこにきて、いじめは悪としか言わない者達(なぜにいじめが起きるのかを理解で
きてない)ばかりの昨今、どうして子供達を導けるというのだろうか?

いくら時代が変わろうともけしてなくならないいじめは人の本能であり、厳しい自
然と闘いつつ生存競争を生き残ってきた大切な能力であることが分かっていれば、
いじめが悪いのではなく、いじめ方そのものに問題があるわけで、
すなわち人格育成をそまつしにてきたこの国の教育システムの欠陥がそのままあら
われているといってもよいわけです。

さて話は一番初めに戻りますが、いじめられていた子の持つ問題点は、家の娘にと
っても同じであり、普通は真正面からそれを指摘しない事が正しいとされるのです
が、どうしたのかと思ったら、其の子の問題部分が明確に現れた際に、はっきりと
間違いのある部分を指摘し、それが直るまでの絶交をつきつけたそうです。

「はっきりさせる事はどうなのだろうか?」 そうした疑問は私にもあります。

しかし、いじめというメカニズムは本来成長のためにあるに関わらず、今の悪しき
いじめのように、何が問題なのかを相手に伝えようともせずにただ繰りかえすのみ
では、どうすべきかも解らない真っ暗な夜道を殴れながら歩くのと同じ事で、けし
て許されるものではない。

確かにはっきり言われた方は、傷つきもするだろうし、その瞬間大きく動揺すれ
ど、解決のヒントはもたらされたわけで、冷たいように見えて、これほど暖かいも
のはないわけです。

ただ、だからとて娘が絶交したことを言いふらすようなことをすれば、それはいじ
めをしていた側への賛同アピールと、いじめられている子、いじめている子達の両
方から見られるわけで、

このあたりについて聞いてみたところ、絶交という行為自体を誰かに話す事など一
切ありえないとの言葉。

その理由はみんながどうとかではなく、誰かがこういったからとか言うものではな
くて、あくまでも自分と友達との間に存在している問題点を解決したいだけだか
ら、という事だそうです。

僕は常々子供達にこういっています、他社の言葉や意見は参考にせよ、ただしそれ
に流されるな、全て自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分で考えて行動せよとで
す。

でも、この考えを幼いころから話していた事が、みんな一緒でなければならない子
ども時代において、いじめられる原因にもなった事は間違いありません。

だからとて、もしいじめられるからと親がその力を育てねば、子供達は一生他人に
影響されて流されていく人生が正しいものとして育ってしまう・・・

大人になって何が粗末かというなら「仕方がない」、「皆そうだから」という言葉
だけを経文のように唱えながら人生を送る事。

仕方ないのではなくて、そうならないように努力すべきだし、皆そうだからではな
くて自分の最善を求めることを怠らないようにする事が肝心だし・・・

私はそう考えています。