帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

小者?、その定義とは? 器があまりにも小さい男って?  そんなら(^0^)俺はどうだ~? その5

2013年07月10日 | 研究-教育・育児

 

 

今回はこれについて、

 

【基本姿勢編】

3)すべて最終学歴で判断する人。





僕が高校を卒業して 某大手に孫請け会社の出向社員として始めて仕事に付いたとき。

その時代はまだ学歴主義全盛の時代だった・・・・・

そうした環境では 「お前は高卒なんだろ? 黙ってろ!」  と頭ごなしに何度言われたことか。

懐かしいな~  だははは!

 

さて、学歴で人を判断する人、 そういった事は、昔ほどありませんが、今でも確実にそうした思考の人間というのはいます。  

高学歴=頭が良いという看板 を提げて、勉強できないやつはバカだと言わんばかり。 

 

でもね~これ、 裏を返せばその人物が持っている物がそれだけもろくて小さい物であることを自分で露呈しているわけで、

恥ずかしい事限りない。 

確かにお勉強が出来る=頭がよい と、学生時代ならそう考えてもしかたありませんが・・・

 

ただ、勉強は 机に向かって 飽きもせずにどれだけペンを動かせるか?というだけのことの積み重ねであって、そうした作業に飽きが来ない、

向いている、好きな?人間であれば、繰り返しの回数が多いほど記憶も正確なのが人間ですから、点数がとれて当たり前。

ところがね、これはあくまでも知識の蓄積作業そのものがもたらした結果でしか無く、言い換えれば極めて受け身作業(言われたとおりにどれだけ忠実にこなせるか)

ですから、これが優れているからといって、 それ以外の全てが優れていると考えるのは余りにも幼稚過ぎる思考。

 

僕もこの年齢まで生きてくると、本当に頭の良い人間は必ずしもお勉強が出来るとは限らない現実を見せられてくるわけで、

ところが一応は点数高ければそれなりに知能も高いですから 頭の良い人間の比重は高学歴の方に偏るのは仕方ないにしても、

そうですね、本当に頭の切れる人間はまず発想が違う、そして判断力も行動力も、何より人間性が優れ、人を自然に牽引出来る大きなキャパシティを持っている。

 

こうしたものは知識とは全く別の物として確立していて、学力とは無関係。   子供の頃からの遊び等を通して構築されている。

 

中卒だろうが、高卒だろうが、様々に態様を変えながら押し迫るようにやって来る様々な問題をテキパキと処理し、疲れも見せずに平然とした顔をしている。

学歴が優れるから頭よいという基準は、社会に出ると殆ど役に立たず、現実的には上記に書いたような 真に頭の良い人間の天下でしかない。 

どんなに学歴が優れようが、 世の中に出るときはまっさらなキャンバスであり、どんな人間もヒヨコである。

 

これは僕の考えなので、大変失礼だとは思うが、 結局、その人間が自分の思うままにどれだけ充実した人生を送れるかどうか?

そしてその為に必要な思考と創意を持ち、 困難を切り抜けていける人間こそが一番ではないのか?

そこにはお金持ちになったとか、有名になったとかいう基準は無く、それぞれの人間が心に描く、その人間にとっての理想的生き方が出来たかどうか? 

が鍵となるのではないか?

そうであるなら、その為に学歴がどの程度役に立つのだろうか? そう思えてならない。

 

学歴が優れれば幸せになる絶対法則でもあるなら、何故巷に高学歴の人間が会社倒産やらリストラで溢れかえっているのか?

そして高学歴ほど再就職が難しいという現実を、 ”学歴こそが”という人間はどう説明するのか?

 

上記に書いた様に、真に頭の良い人間は絶対に人を見下さないし、表面的に見える看板で人物評価もしない。

そうした人物の何人かと出会い、その生き様を見てきた経験を持つ僕は、そうした姿に憧れをある意味抱きながら現在にまで至っている。

いろいろな人間がいるけど、 学歴という看板にもたれかかる様な生き方だけは絶対にしたくないと、 それが僕の考え方である。