帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

色々な事がね

2022年09月05日 | Weblog

歳を重ねて、それなりの年齢になってくると、色々な事が廻りで起きてきて、そうした経験を一つずつ経ていく過程で、

考えねばならないことが多くなる。

 

例えると、自分の両親の事だったり、仕事絡みだったり、それ以外にも健康や自分を取り囲む多くの人達の様々だったり。

 

健康なんかは、30代の頃には考える事なんて全く無かったし、周りも皆もみな健康だったし。

ところが段々と、というか”ごく自然”にそうなってくる。

 

自分は、今も昔も身体的に殆ど変る事が無く、体力的にも運動能力もほぼ平行維持していて、 ところが、

周りにはそうでない人が増え、まあ年齢差も有ったりはするのですけど、癌に罹患したり、

完治するのが難しい病にかかったり、高血圧や、糖尿病、何らかの持病という人が確実に増えている。

 

「実は俺、 XXXXなんだ」なんて話を突然され、「えっ! 大丈夫なの!?」 という言葉と驚きしか出なかったりして、

”以前はすごく健康体だったのに・・・・”なんて思う事が多い。

 

仕方ないことだけど、自分の知りうる人達の中で、自分とさほど年齢の変らない人が、もう何人この世を去ったろうか。

いつかは自分もそうなるのは、生きている限りは定められた運命なのだけど、 それまで可能な限り健康体でありたいと心から願う。

歳を重ねると、あいさつが健康の話題になるというけど、 45歳を過ぎた辺りから、 確かにそうなってきた。

 

自分の親は母親が92、父親が88、 母親の方は今でも多少のスペースがある庭で野菜を造って、僕が行く度にごっそり野菜をくれる。

そうして常に動いているお蔭もあってか、とても健康。

 

一方、父親の方は?というと、6月末に脳梗塞で病院に入院。 

先月の22日に退院して、そのままリハビリ専門病院に転院して入院中。

看護師さんの話だと、リハビリを結構頑張っているらしく+飯は完食らしい(笑)ので、年齢を考えたら上出来な方だ。

 

ただ、2人ともそれなりの高齢で、もし親爺の方がリハビリしても自分で最低限の行動が出来ない場合は、

母親に介護は到底無理なので、 老人ホーム等を考えねばならない。

 

それには、それなりのお金が毎月必要になって来るのは当然で、その流れから、最近は遺言について母親と話すことが多くなった。

幸いなことに、母の方からは”元気な内に出来る事は全部するので、言ってくれ”と、とてもありがたい言葉をもらっている。

 

これにはもう一つ訳があり、 僕には精神を患っている弟がいて、 それも絡んでいる(金銭的な事や精神的負担)。

又それ故に、遺言といっても簡単では無い。

 

こちらは、昔に僕が法律職をしていた当時の同僚が、友人として今も居るので、そちらと相談しながら進めるにしても、

やはりそう簡単に進められることでは無い。

 

まあね、それでも週末にウインドサーフィンを楽しめ、決して追い詰められているわけではないので、自分は幸運な方なのだと正直思う。

 

仕事の方は何の問題も無いのだけど、時々難題が巡ってくるのは何時ものこと。

今は毎日職場に来ている業者のお守り???と、手助けが多い。

米国本土から特殊な契約で、大規模な機器メンテナンスなどで来ているわけだけど、特殊な物故に、

彼らの知識だけでは賄えない技術的な部分を必要に応じて補ってやらねばならず、

かといって、契約文化の形態の中に、自分のような日本人的思考で関わると、後に非常に面倒な事が起きたりすることも有る。

 

どこまで関わるべきなのか、どこまで助けるべきなのか?という天秤みたいな駆け引きがあって、そのさじ加減が極端に難しい。

これが日本の業者なら、手立てや手順、相手の出方、処理や、その他をほぼ解りきってるので楽勝だけど、 文化が違うとそうはいかない。

 

そういえば年齢を重ねるという事は、その人生の経験が集大することで有って、これが日本の年功序列の良さでも有って、

それによりこの国は良質な現場が形成されて、またそれに支えられてきた。

しかしながら、この伝統は別の見方をすると、容易に欠点になる。

 

若い頃から、苦しい思いや苦い経験をしながら積み重ね、同時に悩みながら道を切り開いてきた者の持つ力と人間性は、本当に素晴らしい。

頼りになるし、話しているだけで心も癒やされる。

 

ところが、そうした事も無く、一例をあげると、巨大メーカーの看板後ろ盾にして、学歴の上に乗っかる、いわゆる”ゴッツアン!人生”。

他に、何するわけでも無く、ただ流されて生きて来たり、逃げるだけの生き方だったり、そういった人生で蓄積されてきたものに余り価値はなく、そうした人間の価値もそれに応じたものになる。

 

偉そうに書いていて、「自分はどうなんだ?オイ!」と聞かれたら、果たしてどうだろう? 自分で自分のことは見える物では無く、

あくまで他人が評価をする物である以上、自分で自分のことが判るはずもない。

 

ちなみに、年功序列は、それなりに持つ物がある者が居て成り立ち、定年に至るまでは若くて未熟な若者のサポートや、手助けという形で次世代に受け継がせていくためにある。

能力給制度なんてのがあるが、積み重ねのある者と、そうでない者では、あらゆる面で雲泥の差があり、マニュアル通りの工場作業のような仕事でなら、そうした制度は成り立つであろう。

これは自分と他人の仕事の枠がキッチリ明確に決められて、それにより全体が構成されている欧米の職務システムで出しか成り立たず、

日本のように枠が曖昧で全体主義的な職場には全くもって馴染まないし、それどころか、ずるくて調子の良い者に周りが引きずり回されていき、

最終的には真面目な者がやる気を失って企業力も失われるという、誠に幸せ?な結果だけが残る。

傾いたり、倒産した大企業を観てみると、そんなのばかりだ。

 

まあ、そんな感じで、いつもと違うことを書いてみたけど、 なんかね~、余りにも心に思う事が多すぎてとても書き切れないし、

文章もまとまり無いしで、

 

 

 

まあ、とりあえずは元気だからいいか!  ってね  たはははh!