家に帰宅したら、 娘と婿殿が、何かの写真を見ながら笑顔で話している。

なんだ?
と除き込むと、 今お腹にいる胎児の、エコー写真。
目が有り、鼻があり、口も、手も足も、有る。
うん!人間だ。
当然の事だけど、5枚ほど有る写真の一枚は顔がよく分るもので、 もう一枚はボヘミアンラブソティみたいだな~

爆笑。
先生が写真を撮った時、偶々胎児の顔の下の方からだったので、そうなったらしいのですが、その写真とか見て、
皆で大笑い。
娘の話ではやたらと元気で良く動く子らしく、 その話を聞きながら、この子の小さかった時を思い出す僕。
他の子より躯が小さくて、でも走るのが達者。
運動会とかでは皆の代表となって、色々な種目で何度も走らされていたな~~・・・
汗
活発で、穏やかで、でも性格的にかなり強く、でも嫌われることも無くて、皆から好かれていた。
小学校2年生くらいから包丁を持たせ、僕が側で調理の仕方を直接教え初め、味付けの基本、工夫の仕方もだけど、
細い指でジャガイモを持って皮を剥く姿、人参をイチョウ切りするときなんかは、怖い・・・・
思わず僕がやってしまおうか?と、口から出そうになる言葉を強引に飲みこみ、気持ち抑えてひたすら見守った。
頂きます、ご馳走様でした等の、基本的物事の考え方の基礎は当然として、トイレ清掃等は家では娘が担当。
武士の娘のように・・・・ 、が当時の口癖だった僕。
小学校3年生くらいからウインドサーフィンを教え始め、週末になると何時も海で過ごした。
台風の様な風の中でも・・・

ウインドの数々の大会で、常にメダルを独占し、やがて子供の頃から習っていたメキシコ民族舞踊の他に、フラをやり始めた娘。
中学生の後半くらいからかな? 世界で戦いたいといって、ウインドサーフィンだけではなくて、ヨットも始めて、
小柄な娘には、ウインドで世界と戦うには難しすぎるんです。
最後に出たウインドの全国大会では、世界大会に出る日本代表の女の子に挑み、圧倒的な差を付けてテープを切ったなんて事も。
高校に進学すると、 クラスのリーダー的な存在となり、文化祭や音楽祭では皆を率い、同時にヨットの研鑽を積んで願い通りに世界大会へ。
日本代表の一人として参加し、女子で世界第2位、男女総合でも5位という成績をおさめた。
高校生時代には、芸プロがうるさくて、渋谷あたりに娘が出かけると、何枚も名刺とか・・・・ 当然、そんな世界は、OUTなのが僕の当時の対応でした。
なつかしい。 

高校を卒業して大学に進学すると、 短大から4年制に編入、 この二つの大学の教育課程で幼稚園から高校生までの教員資格を全て取得、そして卒業。
就職はせず、アルバイトしながらフラの教室を先生から受け継ぎ、 やがて問題を持つ子達が共同生活をする施設の職員となり、同時に学童教室職員等を次々と経験。
彼氏が出来て早々に、僕の元に連れてきて紹介したその彼氏が、今の旦那だ。
やがて、これまでの経歴と経験、そして実績が評価され、某自治体の教員に特別採用。
今年の春から先生となって、子供達に勉強を教える毎日を送っている。
何で特別採用なのか?というなら、担当した学年の子達はかなりすさんでいて、その原因はモンスターペアレント。
担当した先生の8人が次々と心を病んで病休に入ってしまい、とうとう最後に誰も教える人が居なくなってしまったという危機的状況。
著しい勉強の遅れと、当然出来ているはずの九九すら満足に出来ない、というある意味最悪の学年へ送り込まれた。
案の定、モンスターのモンスターぶりは凄まじく、 娘にも3つの円形脱毛症が起きるほど。
ただ、海と太陽と南風、そして北風で鍛え上げられて来た物がそこで役にたったのか?は解らないけど、
やって来たモンスターと向かい合う時は、絶対に目をそらさない対応の仕方、どんな時も冷静で丁寧な対応、さらに廻りの先生の応援や支援のおかげでクレームが激減。
授業は、”常に自分で考えさせる”教育を行い、かなり厳しい授業と、子供達をしっかり叱るという教育を実行。
たった半年の間に、最低だった国語の成績が、クラス全員が80点以上を取るほどにまでアップ、九九の遅れ等もあっという間に取り返した。
そんな先生だけど、授業が終わると、どっと子供達が机の処に来て放してくれず、次の授業の準備に遅れが出るほどらしい。
そうなんだ~ なはははは!
と娘の”困ったな~話?”を聞きながら笑う僕。
学校で生徒やモンスターと接して一番苦しかった時に結婚し、子供を授かり、もうすぐお腹の子は5ヶ月ほどになろうとしている。
娘は変った一面が有り、幼い頃から戸塚ヨットスクールに春休み、冬休み、夏休みと自分で行き、校長先生はじめとしてコーチ達にずっと可愛がられてきた。
長い年月を掛けて、その目で直接見てきた様々な姿や教育は、今の学校にそのまま生かされているようだ。
長く務めていた、問題のある子達が親と離れて過ごす公的施設では、 交代制寮母として、夕飯、朝ご飯、そしてある時は子供達の相談相手となり、ある時は友達のようにして時を過ごした。
そんな、娘の人生の集大成の一つの結果として今の姿が有る。
来年の夏前に産まれてくる、その新しい命にどう向かい合っていくのだろうか?と、思う僕。
息子も娘も、始終間違いだらけの育て方をしてきた僕で有りながら、きちんと二人とも自分の人生を歩んで行ってくれているという事に、ひたすら感謝しか無い 翔です。
この曲を娘に送ります。