今、介護医療院にいる僕の親父ですが、おそらくは、もうまもなく一生を終えることになるかと思います。
先週の木曜日に、院から連絡をうけ、急遽土曜日に面会したのですが、病院から医療院に転院した時の元気な姿は無く、ケアマネージャーさんのお話だと、もう一週間も食事が取れておりませんとのこと。
水分の方は点滴にて補ってますが、このままだと・・・・という感じで、 覚悟はしていたけれど、まさかこんなに早く来るとは思いませんでした。
ただ、まだ”絶対”と決まったわけでは無くて、あくまで可能性が高いという事なわけですが、91歳という年齢を考えると、再び食事を取れるようになることはまず無いだろうと正直思います。
ついこの間、といっても夏ですが、親父の胆石手術が終わって、特養に戻って元気だったのですが、
身体能力の衰えとしての嚥下能力が著しく低下して、それが誤飲性肺炎を引き起こして病院に緊急入院。
この時は8月も終わりで、病院に行った僕は、胃ろうを建設するか、栄養剤点滴で食事の代用をするか、
もしくは、このまま看取るか?という判断を迫られたわけです。
そこまで状態は切迫していました。
まあ、突然の事でもあり、多少パニックになっていたのもありますが、以前から身体にチューブを取り付けて生きることを拒否していた親父ですから、一旦は看取りの方向へ。
ただ、病室にいる親父と話をすると、多少意識混濁は有る物の、僕のことも判るし、話も可能。
どうして良いかの判断が仕切れない僕は、親父にそのまま”この先どうするか?”を聞くと、親父の言葉は「どちらでもよい・・・・・」とのこと。
話している内に溢れる涙が止らなくなり、 親父に「又来るね!」と言葉をかけて退室。
これが全くの昏睡状態とか、完全なる認知症で、自分が誰かも、僕が誰かも解らないくらいなら、
看取りという方法も有ったのですが、 普通に会話できてしまうと、誰でもそうだと思いますが、
そうした事はやはり出来ません。
その後、じっとしていると気持ちがおかしくなるので、ウインドキャンプに行き、数日かけて色々と考えましたが、
そのまま看取る(死なせる)という事に耐えられず、 病院に電話して胃ろうをお願いした訳です。
数日後、肺炎が治まり、「寝た状態ではあるものの、食事の摂取が可能になりましたので、胃ろうはやめておきましょう」という医師からの連絡があり、
そのあと、2月ほどかけて栄養剤の点滴や、口からの食事摂取で、だんだんと元気に。
ただ、親父の状態から、もう特養に戻ることは不可能で、そこで介護医療院に転院。
10月24日でしたが、非常に元気になった親父を観て僕の方も安心。
一度介護医療院に入ってしまうと、面会は限られるのと、特に乳幼児は面会不可なので、
その日は皆で行って、転院する間の介護タクシーに乗る前、移動中、そして到着して暫くの時間を
短いながら家族で過ごす事が出来た。
ひ孫に接することが出来たのは、本当に幸運でした。
介護医療院は基本的に終末期のお年寄りを引き受けるところで、ここに入るという事は、
積極的な治療というのが無く、後は出来るだけ本人の意志と、苦しまずに一生を終えることを補助するところであり、
それは僕自身も解っているし、 次に食事とか不可能になった時が最後の時だろうなと覚悟していたので、
今回の事は割と冷静に受け止めることが出来ている。
今回は8月末に選択を迫られた時の様な動揺もパニック的な物も無く、親父の年齢を考えると、いわゆる老衰である以上は”避けられない物”、と落ち着いて考えられるようになった。
11月の初め頃に、院から連絡が有って、帯状疱疹が出たとのことで、この時はまだ食事も出来ていたのですが、
10日頃から全く食事を取らなくなり、その後疱疹の法は収まってきた物の、今度は体力の低下が著しく、
本人も全く食べたがらないという感じとなり。
それで、ケアマネージャーさんが連絡してきたわけです。
先週末に、母親と面会に行って、転院の時より更に細くなった腕と顔をみて、何ともいえない悲しさを覚えるわけですが、幸いな事に、まだ呼びかけると反応もあるし、返事もする、ただ声は出ないので、 口の動きで返事する感じ。
本当は家に連れて帰り、長年過ごしてきた家で最後を迎えさせてあげたいのですが、その場合は、
家での看取りとなるが故に、専門のケアマネージャーさんに連絡をおこなって、
各方面の準備や調整をするのに大体10日から2週くらいかかる。
僕の方も有給休暇を使って、来てくれるヘルパーさんと最後まで看取りをしたいのですが、
今の親父の状態を見ていると、受け入れ環境を構築している時間は無く、 かといって94歳の母親に親父の面倒を見させることも不可能。
結果的に、病院での看取りになる事はほぼ間違いは無い。
人が物を食べず、飲み物だけで生きられるのは2~3週間。 体力の無い親父は大体2週間くらいだろうと思うので、
多分今週末辺りが最後になるだろうなと・・・・思っている。
面会したときの親父は、痩せ細ってはいるけど、顔は親父であって、そして僕を育ててくれた父である事には変わりない。
もう余り時間は無いけど、この数年間は、出来るかぎり親父にしてあげられることは全部やって来た。
故に僕自身も後悔は無く、最後に願うは、心臓の止るその瞬間に、親父の側にいてあげたいという気持ちだけしか無い。
自分勝手なところがあり、他人の価値観を認めず、変なところで頑固で意地っ張りだった親父で、
若い頃はそんな親父が大嫌いで、特に反抗期から後はその思いが凄まじかった。
ところが、この数年間の間に、親父のそうした表の姿の裏に隠されていた、人間的な物を色々と知るに従い、
そうした気持ちはすっかり無くなり、いまは感謝の気持ちしか無い。
あとどのくらい時間が残っているのだろうか?と思うのだけど、今週末に母親を病院に連れて行くので、前日に再度面会をする予定で、その時に「食事取れるようになりました~!」という病院の介護士さんの言葉があれば良いなと思っている。
少し今心配なのが、一人暮らしの母親で、焼夷弾の下をくぐり抜けてきたが故の強さは基本的にあれど、
親父が家帰ってくる可能性をまだ否定していないので、いつも親父のベッドは整頓されて、布団も干されている。
親父がいなくなった後、一気に老化が進まないだろうか・・とひたすら心配だ。
人は生きている限り、絶対に終わりが来る。
2人の親の姿を通して、”生きている間は、常になにかに挑戦して、時間を無駄にしないようにすることを教わり”、今に至っている。
今の僕は親が基礎を造ってくれた物で、その基礎の上に自分という人格が載って今に至っている。
この2人を手本としてこの先も生きていきたいと思う、翔です。