子猫時代のプラコッテ
去年の夏、女子大生が捨て猫を拾ってきて、飼ってくれと言った。我が家には6匹のネコがいる。しかも同族だ。だから飼えないと断った。前の教室の卒業生である。前の部屋で主の和美さんと相談して、小学生も一緒になって「教室で飼わせてほしい、面倒は自分たちがみるから」と再度頼みに来た。子どもたちが動物とかかわるのはいいことだ。こんな時代、情操教育の役に立つだろう。そこで、責任を持って面倒を見るなら教室ネコとして飼ってもいい、と許可したのだった。子猫は生後1ケ月ほどのメスで、尻尾は短いし、目やにで両目がくしゃくしゃ、鼻は垂れている、死んでしまうのではないかと思うくらいみっともないネコだった。それがこのネコ、プラコッテである。
朝は私たちが面倒を見るとしても、毎日時間さえあれば、子どもたちが来て面倒を見ていた。当然オシッコやウンチのかたづけも子どもたちがしていた。プラコッテ日誌がおかれ、お当番なのか、来た人が様子を書き込んでいた。その日誌は今もおいてはある。くしゃくしゃの目は、猫用の目薬があったので、それで毎回拭いていたらきれいになった。しかし、目やにのせいだろうか、右目は白く濁り、視力もほとんどないようだ。医者に連れて行ったが、手術はむずかしいとのことだった。でも、プラコッテは子どもたちのみんなの愛情をいっぱい受けて育った。むろん、子どもたちもプラコッテから学んだことは多かったようだ。
片目のせいかバランスがわるい。高いところは好きでのぼるが、おりられない。屋根に上っておりられなくなって、大泣きし、何回おろしたことか。とうとう何回下りられなくなったか、プラコッテのバカ振りがグラフになっていた。我が家のネコは一度は経験する上の家のガスボンベ置き場にも何回も落ち、そのつどはしごをもって助けに行った。経験が学習にならないネコだ。
避妊手術のためのカンパ箱は子どもたちがつくった。そうこうするうちにプラコッテにボーイフレンドができ、妊娠してしまった。ネコの子育ては子どもたちにいい影響を与える、とpapasanの弁で、母ちゃんになることになった。そして今年の3月3日、おひなさまの日、小学生たちが見守る中、4匹の子猫がうまれたのである。子猫はみんな黒トラのようで、見分けがつかない。しかも全匹オスである。名前は子どもたちがつけた。「今の子どもたちは社会常識が欠けているというから、世界の国名をつけるといいよ」とはサジェションしておいた。3文字の国の中から選ばれたのは、チェコ、チャド、リビア、トンガだった。子どもたちは見分けていたが、私には区別がつかなかった。
1ケ月経って、子猫たちの運動も活発になってきた。貰い手もない。そこで我が家のネコとして飼うには我が家のネコ族のルールを覚えなければならないからと、こっちの家に子猫をつれてきた。ミルクタンクの母ちゃんもついてきたのはいうまでもない。我が家のネコ族はここで形勢逆転、プラコッテ一族に遠慮して小さくなってしまった。はじめは大ネコを見ると、いっぱしに仔猫たちがフーフー、すると母ちゃんがいきなり大ネコの横っ面を張り飛ばした。大ネコたちは度肝を抜かれたようだ。机の上は仔猫たちに明け渡された。しかしよくしたもので、今では横になって、尻尾で仔猫たちを遊ばせている。
ノートパソコンの上で寝る子猫たち
さて、子猫を区別するためにフェルトのリボンを結んだ。赤がトンガ、黄色がチャド、ピンクがリビア、青がチェコである。
2ケ月を過ぎた仔猫たちの成長はめざましい。コネコのためのBGMがいつもかかっている。ショパン、モーツァルト、シューベルトだ。夕方、子どもたちが仔猫を迎えに来る。それを「ご出勤」と呼んでいる。仔猫がご出勤の間に掃除機をかける。
仔猫たちといっしょに遊びながらプラコッテも成長しているようである。下りられなかった屋根も、仔猫たちがさっさと上ったり下りたりするので覚えたようである。とはいえ、片目であることが影響している。
仔猫が母親から貰った免疫力は3ケ月ぐらいでなくなってしまう。だから、このころに病気が多い。青いリボンのチェコがゼーゼーいいだした。死んだら子どもたちが嘆くだろう。そこで医者につれていくと肺炎なのだという。インターフェロンと栄養剤のサプリをくれた。このサプリは高カロリーなのだそうだ。獣医学分野も進歩著しいようだ。愛犬愛猫家が多いものね、ここを見落とすわけはない。
5月9日チェコが死んだ。わずか2ケ月の短いいのちだった。
青いリボンのチェコ
夕方チェコの死を知った小学生たちが墓に花をかざり、手を合わせる姿が見えた。かわいい姿だった。