Cogito

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下條村

2006-09-22 08:19:48 | インポート

チャンネルをまわしていると、プライスとかいう番組で介護保険の地方による格差を取り上げていた。例としてあげられていたのが与那国島だった。介護保険料の方が高くなってしまうということだった。今のやり肩だったら、過疎になれば当然負担は増える。こんなことをしていたら、自力で払える人はまだしも、生活力のない老人達は格差の少ないところに移り住まなければならなくなる。さらに追い討ちをかけるように後期高齢者医療で、老人の負担は多くなる。言ってみれば、「老人は早く死ね」ということなのだろう。暗い話ばかりだから明るい話題を、と言って紹介したのが長野県下條村だった。

公共事業を今までの6分の1に減らして、その分、浮いたお金で村営住宅をつくり、3LDKだったかな、2台駐車上つきで家賃が3万6千円。中学生まで医療費ゼロ。

公共事業は道路舗装などは住民が参加して、村人達で道路を舗装する。コンクリは村が無償で提供、その日に届ける仕組み。こういう試みは長野県では栄村もそうだったし、めずらしいことではないが、それぞれの村や町が横並びに実行しているところがすごい。そんなことで村に移り住んでくる人が増え、出生率は2.2人だそうだ。下條村ってどこだろうと探したら、泰阜村の隣だった。お互い頑張っているんだ。

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仔猫騒動

2006-09-21 18:01:28 | 動物記

Lucky 2週間前、小学生達が捨て猫を拾ってきた。前の教室で飼ってもらおうと思ったらしい。でも教室には3匹のネコがいる。で、こっちに持ってきたが、ここのうちにも4匹のネコがいる。飼えない、と断った。子ども達は自分の家に電話をして飼ってくれと頼んだが、どこもダメだった。どこかの親が、駅近くの動物病院で里親制度をやっているという情報をくれた。

小学生達が電話をすると、獣医さんが健康なネコかどうか診察するから、連れてくるように、ということで、子どもたちはネコを抱えて連れて行った。体重を量り、大体生後25日程度、病気はない、でも後2週間頑張って育てて、病院に連れてくるように、ということだった。ネコのミルクや餌も貰ってきた。これは獣医さんの気配りだろう、もしかして誰かが飼ってくれればという願いも入っているのだろう。

後2週間どうするか、子ども達は5人で3日づつ面倒見ることにして、親に了解を求めた。

一軒をのぞいて、後は親がOKしてくれたとかで、嬉しそうに抱いて連れて行った。子ども達にとっては3日でもネコが飼えるのはうれしいことなのだ。最初に連れて行った子のおばあちゃんが飼ってくれることになった。よかったね、と言っていた。

昨日、子どもが仔猫を抱いてきた。獣医さんへの報告もあって連れてきたのかと思ったら、引き取り先のおばあちゃんが急に倒れて、猫を飼うどころではなくなってしまって、再び里親を探してもらうために連れてきたのだった。真っ黒な仔猫である。やはり仔猫はかわいい。で、仔猫はウチで飼うことになった。生後約25日と2週間ということになる。体重600g。

子どもたちが獣医さんのところに連れて行くと、診察して、耳にカビがついているからと薬もくれた。そしてネコの話もしてくれたらしい。この獣医さん、まだお目にかかったことはないけど、いい人のようだ。ならこれもご縁だから、この仔猫の主治医になってもらおうか。

子ども達にとっては、うれしい結果となった。おばあちゃんのところに行ってしまったら、孫以外は会うことが出来ない。ここにいればいつでも会える。PapasanLuckyと名づけた。ラッキーなネコだからというのである。

ところが毎度のことながら、一定のバランスに新参者が加わると摩擦が起きる。前の教室の猫たちがビビって、こっちの家に来てしまった。トンガは抱っこを訴えてなく。リビアは教室に入ろうともしない。プラはこっちから行こうともしない。そこで仔猫をこっちに連れてきて、まずは教室ネコを連れて行った。仔猫がいなければ大丈夫のようだ。ところがこっちの家のネコたちも敏感に反応している。

人間にはなれている仔猫も、周りに大きな犬がいたり、ネコがいたり、ウサギがいたり、犬には背中を丸めてフーフー怒っている。慣れるまで、少しの間は仕方がない。しかし、チャドが朝、仔猫が側にいたら、ぷいと体をかたくして家出してしまった。困った、困った。

仔猫はもう生まれたときからここにいるかのようにすっ飛びまわっている。それはいいが、チビで黒だから踏みそうで危なくてしょうがない。黄色いフェルトで首輪をつけた。鈴をつけようと思ったら、もう鈴がなかった。夜目立つように蛍光色のテープを細く張ってみようか。兄弟のいないネコは、人間に遊んでもらいたがるから、もうやんちゃで、甘ったれである。細いツメで傍若無人に脚を肢をよじ登るから、痛い。こりゃぁ、傷だらけになりそうだ。

和美さんと計算すると、ラッキーの生まれたのは8月13日ぐらいになる。分かりやすく誕生日は8月15日にしようと決めた。

先日テレビで、捨てられた動物達を保護して150種類になってしまった、もと警察官の親父さんを追っていた。京都警察勤務の時、捨てられた亀を保護して、面倒を見たのがきっかけだそうだ。退職して、その退職金で土地を買い、家を建てた。と言ってもそこは動物専用の家。今でも保護した動物を面倒見てくれないかと警察から電話がかかってくる。その費用は、彼の年金で月20万かかるそうだ。親父さんは息子の世話になっている。

そんな親父に文句を言いながらも、頑固に面倒見ている親父を息子は尊敬している。親父もちょっぴり家族にはすまないと思っている。いい家族だ。

ほって置けば死んでしまう、それがその動物にとって幸せかもしれない、自分が保護することで一生餌を貰って生きることになるがそれが幸せかどうか、わからない。ただ自分がそういう動物を方って置けないだけのことだ。

どうかペットを捨てないで。最後まで面倒見てやってくれ、というのがその親父さんの願い。

ほんとにそうだ。昨日子ども達にそういう話をした。

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冤罪

2006-09-18 21:24:35 | 日記・エッセイ・コラム

ドキュメントは九州・志布志市で起きた選挙違反につながる冤罪。

県会議員の選挙があった。何とかさんが当選した。ことはそれから起こった。当選した県会議員が選挙買収をしたというのだ。それで16人が買収容疑で逮捕、連行、拘留された。16人全部が無実を訴えた。しかも警察とのやり取りを、きちんとノートをとっている人もいた。

いろいろ検証すると、警察のでっち上げが濃くなってきた。事実、誰一人としてお金は貰っていないし、買収にために集会がもたれたと書かれているが、それぞれがアリバイがあり、集会に出られた人はいない。

16人、ほとんどが高齢者、ひとりひとりの取調べの様子、その日から3時間半もかけて裁判所に出なければならない苦痛。誘導尋問とはこういうことなのか。中には、明るみに出た警察での扱いは人権を無視するものであり、そこから取調べをオープンにせよという運動まで起こっている。時間は取り戻せない。失ったものも取り戻すことは出来ない、と関係者はいう。なくなった人もいるからだ。

実際、こんなことが起こったら、みな肝をつぶしてしまうだろう。しかし、ほかでも起こり得ることだ。まだ判決は出ていないが、無罪の確率は高いと希望を持たせる。

警察のでっち上げ、怖い事件だ。その先を考えるからなおのことだ。また眠れなくなった。

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風の島だより

2006-09-12 21:07:37 | 日記・エッセイ・コラム

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馬毛島って知っている?

鹿児島県・種子島の横にある小さな島

と言っても、地図で見てもそんなに小さくはない、

それはそうだ、馬毛島は日本で二番目に大きな無人島。マゲジカが生息し、自然も豊かな島、だから開発に狙われた。

私のところに馬毛島SOSのお知らせが届いたのはかなり前だ。

はじめは採掘権を持った業者が岩石を採掘するために、島を破壊し始めたときだ。

「馬毛島の自然を守る会」が結成され、そのアッピールが届いたのだった。馬毛島の自然を守る会は工事差し止めの裁判を起こした。その費用の一部としてささやかなカンパを送った。以来「風の島だより」が送られてきている。

工事差し止めの裁判は地裁では認められた。しかし、高等裁判所の二審ではこれが覆され、工事差し止めの主張は退けられてしまった。工事差し止めを求める住民達に直接に被害が及ばないという理由で。司法には将来を予測する能力はないみたいだ。守る会の人々は種子島の住民が多い。ということは、貴重な生態系が壊されても、無人島であるということがあるいは禍しているのかも。

以前、ノグチゲラやイリオモテヤマネコ、ジュゴンやヤンバルクイナたちが原告となって、資源破壊を提訴した。しかしそれは退けられた。前近代的な発想だよ。動物だって生存権はあるのに。

岩石採掘だけではない。この島にやって来たのは。核廃棄物の中間貯蔵施設、これは住民の反対により撤退。ほっとして間もなく、飛行場建設計画と、要するに何とか金儲けに島を利用したいという目的が見え見え。

現在の状況は、島の樹木が伐採され、海が汚れているようだ。

「馬毛島」で検索し、画像を見ると、馬毛島の様子が分かる。見てください。日本の端っこで何が起こっているか、私達が目を留めることで、変えることができることもある。

                                  

このHPでも。

http://yakushima.org/magekai.htm

http://www12.plala.or.jp/tazoe/

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テレビ番組から

2006-09-11 12:24:18 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日の夜はテレビを見る日。

たいてい8時から新日曜美術館。N響アワー、芸術劇場とつづく。内容がおもしろくなければあっちこっちチャンネルをまわす。11時半からは世界遺産、そして12時半からドキュメント06だ。

新日曜美術館はターナーだった.イギリスの田園風景は好きだが、

ターナーの絵は絵画としては好きじゃない。で、テレビはいったん消した。

N響アワーもシューマンの「春」これもあんまり好きじゃないので、また消した。

世界遺産はハンザ同盟都市ヴィスビー、バルト海に浮かぶゴットランド島にある。スウェーデンだ。ヴィスビーはどこの国にも属さない交易都市で、作ったのはドイツ人たち。ハンザ同盟にしたことで繁栄した。その富を狙っての悲劇もあった。ハンザ同盟というとベルゲンを思い浮かべる。

12時25分からはドキュメント06。「私は人を殺した・・元日本兵と女子大生」

元日本兵は80歳以上、戦場でどんなことをしたか、語り継いでいる人々である。国のために戦い、靖国に祀られるのが誇りと教えられた世代の人々である。

「動いているものは人間であろうと、猫であろうと、ことごとく殺した・・」

生き残った戦友たちも、一人二人と歯が抜けるように亡くなっていく。そういう人たちと、戦争をまったく知らない女子大生との出会い、と話し合いをじっくりと時間をかけて描いている。取材を始めて、元日本兵がひとりなくなった。退院したら、

体験を語ると約束していたが、ついに聞けずじまいになってしまった。

元日本兵は靖国神社に行き、元兵士にあって、体験を話してくれるよう呼びかけ、承諾を得ている。だれしも思いは持っている。若い人たちにも話しかけている。どうして靖国にくるのか、と。若者は「国のために戦ってくれたから」と簡単に答えている。また、ごくごく軽く、観光の一環だと答えている。

女子大生も下日本兵に連れられて靖国神社へ行った。靖国に祀られることを誇りにしていた元日本兵はA級戦犯と合祀されている現状では祈れないと手を合わせることはなかった。女子大生達は手を合わせたが。そこには戦友たちが戦場の尖兵としてどんな思いで死んで行ったか知っているからだろう。

沖縄、姫ゆりの塔で生き残りの女性が経験を語っている、その言葉を聞いた、姫ゆり部隊の少女たちと同じ年頃の若い女性が、彼女達の言葉が「こころに届かない」と感想に書いた。ショックだったという。

締めくくりの元日本兵の言葉

「「今の若者は団塊の世代の子ども達。団塊の世代は私達の世代の子ども達。私達の言葉が、心に響かないのはしかたがないですねぇ、そして同じ過ちを繰り返して、同じように苦しまなければならないのでしょうねぇ。でも一人でも話を聞いてくれる人がある以上、戦争体験は語り継いで行きますよ。どんな理由があろうとも、戦争はもう二度といやだ。」

途中、耐えられなくなって、中座してしまったが、よくまとまったドキュメントだった。それにしても毎度のことながら、ドキュメントが真夜中に放映されるのはもったいない。

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