Cogito

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秋色

2006-11-22 17:30:25 | 日記・エッセイ・コラム

かなり葉を落とした柿木に色づいた柿のみが光っている。秋の色だ。

そこでカラスウリを探したが、今年はどこにもあの赤い実は見当たらない。うりんぼもない。今年は病気かなんだか原因不明だが、あの異変で実はならなかったんだろう。どこにもないとすると、おそらく来年は出てこないだろう。絶滅ってことになるな。よく繁茂して、蔓は大抵カラスウリがしめていたが、フェンスにまつわりつくのは何になるのかな。しばらく様子を見て、どこかからもって来てもいい。

熟柿をツグミがつついている。メジロもつついている。ウグイスが藪チョッチョを始めた。

あれ、あの声は、ガビチョウだな。久しぶりだ。声はまことにいいんだが。

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真鶴

2006-11-21 20:24:06 | 日記・エッセイ・コラム

昨日本屋で「真鶴」と言う本を見つけた。裏書を見ると、真鶴町史などの文献が挙げられている。買ってみようか、と手にとって、ぱらぱらと立ち読みをした。なんっかピ~ンと来ない。ただ真鶴を舞台に使っただけだ、と本を元の場所に返した。そのうち古本屋に出るだろう、それから読んでもいい本だよ、と、買うのをやめた。

川上弘美という著者は「センセイの鞄」で知っている。でも、好きな作者ではない。

家にかえって、和美さんにその話をすると、和美さんはAmazonで「真鶴」という表題にその本を購入したのだそうだ。読んでみたが、人様に読んで、と勧めるような本ではない。たまたま読んでみようという人がいたので貸した、ということだった。「うん、幻想的な世界が得意みたいよ。」

まぁね、文学作品なんて評価は人それぞれだ。作者の考えが好きな人もいればキライな人もいる。むしろ「真鶴」なんて地名を使ってあるばっかりに、気を使っちゃたけど、真鶴が主題ではないんだから、ほうっておこう。

熱海っ子にとっては、金色夜叉。熱海の海岸散歩する・・という演歌でも有名になって、とうとう貫一お宮の像まで建っちゃったけど、熱海の人間で「金色夜叉」ちゃんと読んでいる人、どのくらいいるかな。子どものころから、毎年1月17日は観光会館で、熱海の海岸の場面が上演されていた。よく父親のマントを借りに来た。そのマント、私のスーツになちゃった。映画にもなっているから見た。筋はなんてことはない。

一応、熱海っ子だから、金色夜叉は全部読んだ。紅葉は途中で亡くなって、仕上げは弟子が仕上げたと聞いているが、詳しいことは忘れてしまった。とにかくかの漢文体のような、あの小説を読み上げはした。塩原だったかな、あのあたりの描写は覚えているが、あそこらへんから作者が変ったのではなかったろうか。

こんな日記を書いていたら、Papasanが帰ってきて、今日委員会でK議員が「この本を100冊買え」って言ったと聞いた。「公費で買うなんてとんでもない」というと、では各議員に1万円ずつ出して買うと言ったそうだ。

それを聞いて、文学のぶの字でもないご本人(提案者)、この本読んだのかなぁ。まぁ読んで気に入ったら、自腹を切って買って、人にでもあげればいい。」それにしてもそんなことに公費を使ったら、監査請求するよ。

とんだ人騒がせな本だねぇ。おかしな議員のおまけまでついてさ。

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ギリコン

2006-11-19 00:36:52 | 日記・エッセイ・コラム

義理で行くコンサートを義理コンと言っている。特にPapasanの演奏会をギリコンと称している。義理で行ってもらうのだから、 チケットの割り当てを買って、などとはおこがましいから貰ってもらい、さらに帰りにお茶などということが多かった。しばらくコーラスを休んでいたので、ギリコンはなかった。コーラスに復帰するとき、「もうギリコンはしませんからね」と冷たく言っておいた。

ところがいよいよ定演が近づくと、チケットを貰ってもらうのに躍起。本音は舞台を見に来て、聞いいてもらいたいらしい。「私は(知人に)声をかけませんから、自分で頼みなさいね」とこれまた冷たい。

でもいいとこあって、昨日まで「行かないよ」と言っていたのだが、寒い中小田原まで出かけてきた。 電車で行くことがないので、切符を買うのが面倒なので「すいか」を買った。久しぶりに乗る電車も、電光掲示板があって、次の停車は駅名が漢字、カタカナ、英語で」表示されているのは始めてみた。案内も英語も放送してい。へ~、変わったんだな。英語放送は外国人には親切だろうなぁ。

定演は、うん、来てくれというだけあって、よくハモっていてよかった。指揮者は外山雄三さんの弟さん。北原白秋作詞、多田武彦作曲の「ご寒小景」が特によかった。ご寒のごの字はにすいに互がついた字。

宮崎アニメも楽しくまとまっていた。帰ってきたら「よかったよ」と言ってやろう。

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教育基本法

2006-11-16 13:27:40 | 日記・エッセイ・コラム

記事:
「政府・与党が今国会の最重要法案と位置づける教育基本法改正案は、16日午後の衆院本会議で、自民、公明両党などの賛成で可決され、参院に送付された。」

自民・公明で多数を握っている現体制だからやむをえないといえば止むを得ないのだが。大まかに言えば「愛国心」を盛り込むくらいのことだから、当然、大したことではないように思われるのかもしれないが、その裏に潜むもの、それが大きく成長して行ったらどうなるのか、そういう面を考えなければいけない。

国旗国歌法案のときも強制はしないといいつつ、法案が通り、法になると、その言葉が消えない現在、法はもう力を得て、為政者は強権で強制をしいている。悪法といえども成立してしまえば法なのである。国民を強いるのにはばかることはない。だから慎重にしなければならないのだ。

愛国心とはなんだろう。国家から教育され、強制されなければ愛国心は育たないものなのだろうか。教育勅語というのがあって、1年生(国民学校)の私にはわけもわからないのに暗誦させられた。天皇に命令されなければ、夫婦も兄弟も仲良く出来なかったのだろうか。そんなことは決してない。

本来、愛国心は愛する国があることなのだ。愛する家庭があり、それを取り巻く愛する町があり、そこで日本という国土が愛せるのだ。

私は「愛国」という言葉は、好きだが怖い言葉だと思っている。私は自分の家庭はもちろんだが、自分の住んでいる町をこよなく愛している。ここに暮らしていることを誇りに思っている。そして友人、仲間、コミュニケイションの媒介となる日本語も愛している。日本の文化も古い伝統も愛している。もちろん食べ物も好きだ。おのずから日本の国土をそこに育っている日本そのものを愛している。これこそが愛国心だろう。言ってみれば愛国者である。

愛国心という言葉に潜む怖さ、それは愛国心という言葉によって、強制される全体主義である。愛国心を狭義に解釈すれば、自分の国だけを愛することになる。愛国、すなわち他国は敵にできる。ナチス・ドイツはどうして生まれたのか。それは愛国心によってであった。ナチスだけのことではない。日本の軍国主義も愛国心を逆手に取り、国民はがんじがらめにされてしまったのであった。戦時中は、国家の命令に従うことが、即愛国であった。従わないことは愛国心のない非国民とされた。

手っ取り早くいうと、愛国心が戦争を引きおこしたのである。侵略も、略奪も、虐殺も愛国心のなせるわざとすりかえることが出来る。愛国心の名の下に自由が奪われ、愛国心の名の下に人権も無視された。これはどこの国にも言えることだ。戦争の根本には、この愛国心が利用されている。

日本国憲法の前文はそれを乗り越え、恒久平和を訴えているものなのだ。それをなくして憲法そのものを変えようとしている。国民がその気になれば、現政府がもくろんでいるその所業を阻止できるのだ。

こんな寓話を思い出した。
ある男が長年「ファッシズム」を追っていた。あるとき、確実にファッシズムがいるという館を突き止めた。その館の部屋をひとつひとうドアを開けて行き、最後のドアに立った。ここにこそ追い求めていた「ファッシズム」がいる。力を込めてノブをまわしドアを開けた。そこに「ファッシズム」が向こうを向いて座っていた。男は「ファッシズム」の前に立った。「ファッシズム」が静かにこちらを向いた。その顔は・・・なんと自分の顔であった。

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生後3ケ月

2006-11-15 12:47:38 | インポート

Lucky_3 推定でラッキーの誕生日を8月15日にした、3ケ月経ったことになる。

大分中猫になってきた。顔もとんがってきて、まるでクマのよう、Bear Luckyなんて言っているのだが。体重は1.45kg。

Back 飼っているものは、どんな猫でも可愛いのだが、客観的に見てどう見てもブスである。3ケ月の記念撮影、なんとか可愛く撮ってやろうと苦心している。うん、後姿はいいよ。バック・シャンだ。こんな言葉、通じるかな。

Lucky2_2 3ケ月、すっかり我が家の一員として甘ったれている。先輩達にも受け入れてもらったようだが、まだひがまれていることも確かだ。ボスのジョイスはソバにいても怒らないし、むしろ尻尾で遊んでやっている。

それまで甘ったれだったチャドが一番割を食っているようだ。
ベッドにもぐるのも、今まではチャドが中心だったのが、今度はラッキーが中心を取る。チャドは隅っこか布団の上に寝るしかない。チャドが中心を取る前までは先輩たちがそれをしていたのだが、今はチャドと同じく、布団の隅やホットカーペットに寝ている。

チャドはおかしな猫で、朝方、トイレに行くとついてきて、私のひざに入る。しばらく臭い仲をつづけて、満足して下りるのだが、このスキンシップをラッキーに奪われてしまったのである。私がトイレに行くと、すばやく鈴を鳴らしてラッキーがついてくる。そしてひざに跳びあがる。後から来たチャドはそれを見て、回れ右をして、引き返していく。先日、ラッキーを抑えていてくれたので、チャドはせいせいとひざに入ることが出来た。ごろごろのどを鳴らして、満足そうだった。

ラッキーは利口な猫だ。

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