子どもたちが大人の無責任によって殺されていく

2006-08-02 18:08:48 | Weblog

 情報の応用・処理能力不全は日本人性なのか

 夏の暑い日に駐車場に止めた車の中に幼児を置きっ放しにしていたことも忘れてパチンコに何時間も夢中になったり、あるいは買い物で商品選びに長時間費やしてしまい熱中症で殺してしまう、過去に何度もあった愚かしさからの悲劇を子育てに関わる戒めの情報の一つに付け加えることができない大人がどうしようもなく存在し続ける。

 父親の親権喪失にまで至った幼い長男に対する虐待の前歴を情報として伝えられ、把握していながら、また他の姉弟(小学2年生の姉と小学1年生の兄)の発育状態が普通の子どもよりも劣悪で、手や顔にケガの跡があることを学校から連絡を受けていながら、兄弟のうち残る3歳の三男の状況把握のために一昨年10月に面会したものの、顔にあざがついているのを確認していながら問題なしとし、小学校に通う次女の様子を通して一家の状況が把握できるという理由でそれ以降一度も面会せずに放置し、結果的に今年の5月に十分な食事を与えられない状態で死亡させてしまった児童相談所の児童虐待に対する繰返し起こる今回の機能不全。有り余るほどの情報を手に入れていながら、それらの情報を情報として有効に生かすことができなかった。

 情報は収集することが目的ではなく、収集した情報を如何に相互に関連付けて自分たちの情報としてつくり上げ、自分たちのものとした新たな情報を如何に処理・応用して職務に役立てるか、そういった当たり前にしなければならないことが当たり前に行われていない。何のための情報収集だったのか。役に立てることのできない情報は収集する意味を失う。

 自分のことに夢中になって車に放置したまま子供を死なせてしまう若い夫婦はバカな人間だで片付けることができるが、児童相談所の人間はそれなりの高等教育を受けているばかりではなく、職務上、児童問題について様々な勉強を積み、それらを基礎に社会的経験をも積んで、それなりの知識・教養を身につけているはずの人間である。教育と経験・教養が何ら機能しないという逆説は何を意味するのだろうか。情報処理・応用能力の未熟性は日本人性としてある自然な姿だと言うなら、如何ともし難い。

 埼玉県ふじみ野市営の流水プールでの今回の事故(06.7.31)。吸水溝のボルトで締めるはずを針金で留めておいた柵が外れて、柵の1枚を遊泳中の小学生3年の男児が見つけて近くの女性監視員に渡したが、彼女も他の監視員もそれが何のための物なのか理解できず、事務所の社員が吸水口の柵だと気づいて、監視員に人を近づけないように指示して補修道具を取りに行っている間に小学2年の女児7歳が吸い込まれて脳挫傷で死亡させてしまった。

 ボルトで締め付けておくべきを針金で簡単に取り付けておいた手抜きもさることながら、監視員に人を近づけないように指示したのが事実とするなら、指示によって表された情報を即座に処理・応用することができなかった任務遂行に関わる無責任と考えた対応(創造的な臨機応変性)の欠如、さらに監視員が柵が何を目的に利用されている物なのか即座に理解できなかった情報伝達の不徹底と、「1時間に1度の点検も、吸水口の確認はせず、プールの水底に危険物が落ちていないかどうかをチェックするだけだったという」(06.8.2.『朝日』朝刊)ことから判断すると、過去に吸水口や排水口に関係する事故が何度となく発生しているのだから、それを教訓として「1時間に1度の点検」に関しても吸水口・排水口を主たる危険箇所としてチェック項目に入れておくべきを入れておかなかった情報活用の不備をも問題としなければならないのは当然のことだろう。

 情報化社会、情報化社会と騒ぐが、それは単に双方向的な情報伝達の機械化が高度化し、一般化したと言うだけのことで、伝えられた情報をどう解読し、どう活用するか、伝えられる情報が指示という形で特定の目的を持っている情報なら、その目的に添って読み間違いなく如何に判断し、如何に処理するかといった情報の処理・応用に関わる基本は双方向的な情報伝達の機械化の高度化・一般化とは無関係のことで、それらが発達状態にあるからといって、そのことに対応して情報の処理・応用能力までが高度化するわけではない。

 政府の人間が日本人の情報処理・応用能力の未熟性に目を向けずに、情報機器の配備状況と使用環境整備(インフラ整備)だけを以て日本はIT大国だと言っているようでは、未熟性は無理のない話かもしれない。

 テレビで報道していたことだが、プールの汚れた水を浄化装置を通してきれいな水にして元に戻す排水口の柵に足を突っ込んでしまった小学生を大人が引き出そうとしたが吸い込む水の勢いが強くて引き出せずポンプを止めるよう頼んだところ、ポンプを止めると雑菌が繁殖するから決して止めてはならないとマニュアルに書いてある情報をそのままに伝えて断ったという事例があったそうだが、杓子定規にしか情報を解読できないのなら、光ファイバー網が日本全国如何に整備されようが、日本人が老若男女一人残らずパソコンを操作できるようになったとしても、意味もないことである。

 果たしてプール経営組織はプールに於ける発生年月日・発生場所を付した過去の死亡・傷害事故例とその各原因を一覧表の情報としてマニュアルに記入し、社員及び監視員の教育に提供しているのだろうか。

 過去に似通ったものであっても死亡例があり、そのことから流水プールでの吸水口の柵が外れた場合は流水がまだ体力の幼い子供を吸い込んでしまう程に危険だと理解しているなら、それを防御する柵は余程意図的な力を働かせない限り外れない工夫を凝らしておくべきではなかっただろうか。件の柵はボルトが外れれば手前に倒れてしまう状況にあったようだが、上から見てコの字型のレールを口を内側に向き合わせて縦に左右に取り付け、前後に開け閉めする引き出しを縦にする形でそこに上から柵を落とす仕掛けにすれば、故意に持ち上げない限り、ボルトで締め付けておかなくても重みで柵はどこへも逃げていかないし、掃除のときの取り外しも簡単となる。柵の左右の枠の各上下に10センチ×5センチほどの穴を開け、そこに左右2個ずつのベアリング仕様の滑車を取り付けてスライドさせれば、柵はガタつかないし、取り外しもより簡単となる。なお一層の安全を図るなら、落とし口にマンホールと同様の蓋をし、鍵がなければ開かないようにしておけば、関係者以外は触れることはできなくなる。

機会あるごとに言っていることだが、危機管理とは最悪のケースを想定して、その想定した最悪のケースを回避すべく方策を講じることを言うはずである。そのためには想定しなければならない最悪のケースを知っておくことが絶対前提となる。知った上で、先回りする形で〝最悪のケース〟に至らない措置を一つ一つ講じていく。

 想定とは適切な内容で情報をつくり上げることであり、そのつくり上げた情報に従って如何に適切に活動できるかに情報の処理・応用能力はかかっている。

 プール事故は監視員が最悪のケースを弁えていなかった可能性があるが、児童相談所に関しては虐待死は常に弁え、常に想定しておかなければならない(情報としてつくり上げておかなければならない)最悪のケースであるが、それを回避するための活動が機能しない〝最悪のケース〟が性懲りもなく繰返されている。

 繰返される根本原因が情報のつくり上げもさることながら、情報の処理・応用能力の未熟性にもあるのは言うまでもないことだろう。

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