トヨタの躍進
トヨタ自動車が米国での7月の新車月間販売台数でフォード・モーターズを抜いて2位につけたと新聞に出ていた(06.8.2.『朝日』夕刊)。記事は「トヨタが今年の世界販売でゼネラル・モーターズ(GM)を抜いて世界一となる可能性が現実味を帯びてきた」と伝えている。さすが日本のトヨタ、世界のトヨタだけのことはある。
8月5日(06年)の『朝日』朝刊では06年4~6月期でのトヨタの売上高が過去最高を記録したとする記事を載せている。好調原因の一つに「円安追い風」としてはいるが、「原油高や原材料高の影響も見られ、先行きは不透明な要素が多い」を懸念材料に挙げてはいた。
全体的な傾向としては売上高か過去最高であっても、「北米では売れ筋が小型車にシフトし、営業利益率は前年同期の7・5%から6・4%に急落。大型車は不振で、インディアナ工場は減産に入った」と伝えているから、小型車がカバーしての「過去最高」なのは説明するまでもない。
〝小型車シフト〟がアメリカのイラク攻撃以降の原油高が影響した傾向なのかは記事は伝えていない。だが、世界の生活者の絶対多数は中所得者+低所得者が占めている。国によって中所得者と低所得者の割合はそれぞれに違うだろうが、中所得者+低所得者が絶対多数を占めているという点ではアメリカに於いても変わらないだろうから、原油高がガソリンのみならず、多くの生活用品の値上に関係して生活圧迫要因となる関係からして、〝小型車シフト〟は当然の成り行きで、今後自動車の世界市場では小型車勝負ということになるのではないだろうか。
日本人が自らのことをモノづくり日本、技術立国日本と言うとき、日本人は優秀だからといったニュアンスを伴わせる傾向にあるが、教育も技術もカネを原資として取得可能な才能であって、最初から特別な資質を持っているとする特定の人種や民族に与えられているものではない。如何にカネ(資金もしくは予算)を教育の普及と技術開発の分野に効率的に配分・投資し、人材を育成するか、その成果にかかっている。
そのことは中国や韓国、その他のアジア各国に於いても条件は同じで、戦後日本はアジアの他の国に先駆けて教育や技術にカネを投資できる余裕を得た点で単に先行したに過ぎない。いわば先にウサギになるチャンスに恵まれた。その途中駅が現在のモノづくり日本であり、経済大国世界第2位であるが、決して終着駅としてある日本の姿ではない。
それは日本のようにその多くがマネで獲得した技術は他からのマネによって追随される同じ循環を繰返す構図を原則として持ち、決して終着駅足り得ないからだ。そういった推移に気づかずに日本人が特別に授かった優秀な能力だと思い上がっていると、ウサギとカメの寓話同様にカメに追いつかれ、追い越されるときがこないとも限らない。
日本は戦争で他のアジアの国々を蹂躙し、破壊しながら、その戦争はアメリカによって打ち負かされはしたものの、アメリカの援助と朝鮮戦争特需といった幸運に恵まれて他のアジア諸国に先駆けて国を立て直し、国の富として得た資金を官民共々教育と技術開発に投資することで人材育成に当たることができた。その時間差が他の国との技術差となって現れた。それだけのことに過ぎない。
06年6月8日の『朝日』夕刊は、「ブランド別米品質調査」で「トヨタは4位」を抜いて「韓国『現代』躍進の3位」と伝えている。
「米調査会社JDパワー・アンド・アソシエイツが7日発表した06年の自動車品質調査で、韓国の現代・起亜自動車グループの『現代』ブランドがトヨタ自動車の『トヨタ』(4位)を初めて抜き、3位に躍進した。首位は『ポルシェ』で、昨年トップだったトヨタの高級車部門『レクサス』が2位。『トヨタ』は前年7位から順位を上げたが『現代』(前年10位)に競り負けた。日本メーカーは『本田』が6位となったほか、日産自動車の『インフィニティ」、ホンダの『アキュラ』と両社の高級車部門がトップテンに入った。
米国で販売された06年型新車を購入者へのアンケート(回答者数6万3千件)を基に、100台あたりで発生する不具合や操作の複雑さを数値化、ランク付けした」――
確かに日本の技術水準は押しなべて高いものがある。もし今後自動車市場での売れ筋は小型車が主流ということなら、すべての技術の点でスタートラインを日本の遥か後方に置いていた韓国が小型車の技術に関してはトヨタと肩を並べ、あるいは一歩先を行くまでに成長している、その発展は日本の自動車がこれまでアメリカで販売優位に立つことができた長所・利点を韓国自動車も備えるに至ったことを意味しているばかりか、日本が欧米のクルマと競うだけで済んだ販売台数競争に韓国自動車を正面のライバルに据えなければならないところにまできたことを示している。
確か1970年(昭和50年)代前後だったと思うが、まだ朴政権時代(1961~1979)の現代自動車は当初日本の三菱自動車の技術援助を受けてギャランの前身であったコルトそっくりのクルマを作っていた。エンジンは日本からの輸出で、そのうち自前でエンジンを造るまでに至り、アメリカに於ける小型市場で日本車のライバルにまで成長した。そのことは日本の〝技術的先行〟の有効性がある部分失われつつあることを示し、同時に技術というものが特定の人種や民族に与えられている才能ではなく、すべての人種・民族に等しく与えられる能力の一つに過ぎないことを証明する動きでもあろう。
誰でも獲得可能な能力と言うことなら、それを獲得する契機は勉強、あるいは学習を動機とする以外はなく、技術の取得・開発を含めた教育の普及に如何にカネを投資し、人材育成に役立てるかにかかっているということを証明している。
日米欧のありとあらゆると言っていいほどの企業が安価な人件費と人口を13億近く抱えた市場としての将来性に目をつけて中国へ進出し、世界の工場と化しているが、その中国の自動車企業が中国資本で初めてアメリカに進出するという『朝日』の記事(06.7.14.朝刊)がある。
「中国の自動車大手、南京汽車は12日、米オクラホマ州に工場を建設し、05年に買収した英老舗、MGローバーの「MG」ブランドでスポーツ車を生産すると発表した。08年9月までに生産を始める予定で、中国資本による初の米自動車工場となりそうだ。(中略)
南京汽車は。米投資会社や州内の不動産開発会社などと合弁でオクラホマシティーにMGモーターズ・ノース・アメリカを設立。この会社が北米と欧州での販売や流通も担う。州内の新工場と、買収前に破綻したMGローバーの英国の既存工場、南京での新工場の3拠点を合わせ、MGブランド再生に向けた総投資額は20億ドル(2300億円)を超える、としている(後略)」――
中国の南京汽車がアメリカ市場のみならず、世界市場で着実に売上げを伸ばし躍進を果たしていくためには、安い人件費とか為替相場といった要素もさることながら、それ以上に他社と同様に生産車自体の技術的進化を図ることを重要な条件としなければならない。そのことに必要となる優秀な人材を育成するにしても、あるいは集めるにしても、その方面に向けるカネ(資金)を売上げ利益からどの程度捻出し、どう効率的に運用するか、政策次第であって、そのことに応じて販売台数にしても品質にしても決定していく。人種性や民族性を条件に決定していくことではない。日本人にしても中国人にしても、韓国人にしても、その他すべての国の人間は同じ地平に立っている。
いわば〝技術立国〟なる称号は日本のみに与えられる栄誉ではなく、あるいは日本のみが自称を許される栄誉でもなく、すべての国がその機会を持つ相対的な称号に過ぎないということだろう。