安倍晋三官房長官が自著の『美しい国へ』で提言している日米豪印の首脳・外相級による戦略対話構想の開催に関して、来日中の豪外相が「『インドは非同盟運動の創始メンバーであり、(今年3月にスタートした日米豪の戦略対話への)参加は恐らく望まないだろう』と述べ、構想の実現に否定的な見方を示した」と8月9日(06年)の『朝日』夕刊は伝えている。豪外相は次のようにも述べている。
「インドとの関係強化は大事で、その点で安倍氏は間違っていないが、戦略的対話の目的は、米国とその同盟国の日豪が話し合うことだ」(から、その点では安倍氏は外交的に間違っているということだろう)
「中国は軍事的脅威ではない。経済が成長すれば自然に軍事費も増える。透明性の確保は大事だが、中国がアジアで軍事的冒険主義を発揮するとは思わない」
「中国の軍事力は現実的脅威である」と主張したのは前原前民主党代表だが、オーストラリア外相の「中国は軍事的脅威ではない」の発言は、安倍氏が「軍事的脅威」としている姿勢を受けたものだろう。日本の与野党の代表的な政治家が揃いも揃って「軍事的脅威」をいとも簡単に口にする。どのようなメリットがあると計算して言っているのか不明だが、意味もなく無闇やたらと吠え立てる愚かな犬にならないことを願う。
記事は外相のこうした見解を安倍氏にも伝えことを報じると同時に、「豪州にとって日米に次ぐ第3の貿易相手国に成長した中国への配慮を見せた」と解説している。
インドは中国と国境を接し、国境問題から発した武力衝突まで起こしている歴史を抱えているが、2003年6月にインドがチベットを中国の一部だと認め、中国がシッキム州をインドの一部だと認めたことによって両国の関係改善が進み、1962年の中印国境紛争以来停止していたヒマラヤ山脈越えの貿易ルートを44年ぶり2006年の今年に再開させている。
このことは政治的な対立要因を除去したと同時に経済的な緊密化への一層の発展を意味するものだろう。
さらに両国はエネルギー分野での協力関係を進めていく『石油ガス協力強化』の覚書を今年(06年)の1月に取り交わしている。中国は米国に次いで第2位の石油消費国であり、インドは第6位に位置していて、エネルギーをより多く必要とする関係から、秩序ある資源調達を約束し合うことで資源問題での対立を前以て防ぐ目的を持たせた協定であろう。
また今年(06年)6月に開かれた中ロと中央アジア4カ国の上海協力機構首脳会議にインドはパキスタン・イラン・モンゴルと共にオブザーバー参加しており、将来的には正式メンバーとして加盟するのではないかと見られている。
それ程にもインドは中国と政治的にも経済的にも緊密な関係を築こうとしている。国境を接しているという制約も影響しているに違いないが、現時点に於いても、将来的にも無視できない規模と力で相互に影響しあうと見ている大国であることを自任した国同士だからであろう。
インドがそのようにも中国と関係を築こうとしている現実を無視したのか、それとも計算に入れることができなかったのか、米国を核としてそれぞれに軍事同盟を結び合っている米豪日の3国に、3国いずれとも軍事同盟を結んでいないインドを〝戦略〟なる言葉を冠した国家間の連携へと、オーストラリアと共に自由と民主主義、基本的人権、法の支配という普遍的価値観を日本と共有しているとしてメンバーに加えるべく謀ったのが、安倍氏の『戦略対話構想』らしい。
らしいというのは、安倍氏が著したという『美しい国へ』を読んでいないからだが、読んでもたいしたことは書いてないと予測がつくし、ましてや買ってまでして読むのはカネのムダ遣いで終わるだろうことは分かりきっている。大体が「美し」くない人間が「美しい国へ」と言うこと自体が胡散臭いばかりである、
『戦略対話構想』は小泉首相の安倍氏も加わった外交姿勢が招いた中国との政治的関係悪化の原因を普遍的価値観の日本との未共有が招いた中国側にあるとして、その対抗策に日本一国では太刀打ちできないからと、日本と同地域のアジア・太平洋からオーストラリアとインドを加えて中国を間近から牽制しようとする打開〝戦略〟からの発想でなくて何であろう。
インドが普遍的価値観を〝共有〟していない中国とも、そのことを理由とせずに緊密な関係を築こうとしているのと日本は逆方向へ向かっているのではないだろうか。中国が北朝鮮のように軍事的に敵対姿勢を外に向けているというなら、普遍的価値観を持ち出すのも理解できるが、そうでなければ〝共有〟とは別個に良好な関係に持っていくのが外交というものだと思うが、逆に安倍氏は中国とは政経分離だと早々に断罪して、インドを誘い込んで中国に対する〝戦略〟的対抗軸を構築する外交へ乗り出そうとしている。中国に対して目に見える形で拳を振り上げることになる外交だと気づいていて、敢えて心理的包囲網を築こうとしているのだろうか。
現在中国との関係を緊密化しようと試みているインドが果たして中国に対して日本のように目に見える形でこぶしを振り上げるような外交を国益とするだろうか。中国とは長い距離で国境を接している地政学は過去に経験したように政治的関係悪化が点火装置となって相互に武力侵攻に発展しかねない悪条件をも兼ね備えているのである。インドが拳をそれとなく振り上げただけで、中国はインドに対して関係良好になっても展開しておくであろう軍事力を一層強化し、インドも対抗上、中国を目標とした軍事力の強化に努めなければならなくなる。国家の発展とは経済の発展に他ならず、あるいは経済の発展による豊かな国民生活の保障に他ならず、国家予算から軍事費の増大を伴わなければならない軍事的緊張関係は経済発展及び国民生活向上の阻害要因を成すのみである。
「中国は軍事的脅威ではない」し、「アジアで軍事的冒険主義を発揮するとは思わない」、「戦略的対話の目的は、米国とその同盟国の日豪が話し合うことだ」としたオーストラリアの態度を大人の態度としたら、中国の軍事力を「脅威」と見て、見え透いた形で拳を振り上げることになる安倍官房長官の〝普遍的価値観の共有〟に限定した『戦略的対話構想』は逆に中国の姿勢を頑なにして現在の価値観に閉じ込めてしまう、子どもとは行かなくても、中学生程度の態度ではないだろうか。かつて連合国軍最高司令官として日本に駐留していたマーカーサー元帥が日本の政治は13歳の子どもだとか言ったそうだが、その成長していない姿を安倍氏は受け継いでいるようだ。
安倍氏は中国を数を頼んだ力で押さえつけようとしているように見えるが、それは外交的創造性の欠如の裏返しとして現れる姿であって、大人となっていない大人や子どもがよく使う手であろう。
05年9月19日のテレビ朝日「TVタックル」で、「アメリカは原爆を2発落として、ポツダム宣言を受諾しろと威した」と言っていたが、原爆投下も含めてポツダム宣言受諾に至るまでの経緯を一切省略して、原爆投下とポツダム宣言受諾という二つの事実のみを取り上げる単純化した解釈に過ぎない。これなどはまさしく成長していない大人――いわば単細胞な大人でなければできない歴史解釈であろう。
同じテレビで「中国は共産党一党独裁で、国民の自由もない。国民の不満を抑えるために、日本軍を破り、中国を解放したのは中国共産党だと、一党独裁の正統性を訴えるためにも、愛国教育を利用している。首相の靖国神社参拝に反対するのも、中国国民に日本を悪だと説明している手前からで、中国の言うことを聞いて、参拝をやめたとしても、それだけで終わらない」といった内容のことも話していた。それだけで済む関係ならいいが、それだけではすまないのが日本と中国の関係で、事実それだけ済まなくなっている。すまなくなっているから、『戦略対話構想』なのだろう。
かくかようにも国家間の関係を単純化し過ぎなくらい単純化して把える感覚にしても、とても外交的創造性は期待できようもなく、どう考えても安倍晋三氏は日本の総理大臣となって、日本を「美しい国へ」ではなく険悪な国へ導き入れようとしているにように思えてならない。